日々のこと
過去は現在を助けることはできるか
過去は現在を助けることはできるか?
死者が生者を救うことはできるのか?
漢方の先生の死を知った時、持っていた本を開いた瞬間に目に入ってきた言葉です。
この言葉は、ハン・ガンさんのノーベル文学賞受賞記念講演が「光と糸」という本にまとめられている初めの方にあります。
この言葉の前には、ハン・ガンさんが、書きたい小説のテーマについて取り組んでいた二十代半ばの頃、日記帳を新しくするたびに最初のページに書き続けていた言葉が綴られていました。それは、
現在が過去を助けることはできるのか?
生者が死者を救うことはできるのか?
と、いうものでした。それが不可能だと感じた時、ある言葉をきっかけに、向かうべき方向がわかったそうです。それは、この2つの問いを逆にすることでした。
それが最初に目に入ってきた言葉です。
先生の死を知った驚きと、その答えのような言葉でした。
過去が現在を助けることができるのか?
これは、内観に関わってきた物として、「できる」と確信をもっています。
しかし、
死者が生者を救うことはできるのか?
という問いは、どういうことなのでしょうか。
私はまだこの本を読み始めたばかりで、ハン・ガンさんのたどり着いた答えを知りません。
先生の死は、1年以上伏せられていたそうです。
言われてみれば、一年位前に、ふと先生の事を思い出さなくなっていました。
私のお店に、漢方を勧めたらよいようなお客様も来なくなりました。
何故死が伏せられたのか、亡くなった原因は解りませんが、どちらにしろ、急にこの世から居なくならざるを得なかった、という事は確かです。
私の憶測にすぎませんが、先生の今までの言動から、漢方薬局をやっているという立場上、「病気になる」「医者にかかる」のが悪だととらえていた節がありました。
実際、別の漢方薬局の店主も、癌になった時にひた隠しにしていました。
何故なのでしょうか。
昔、テレビのドキュメンタリーで、日本の癌の専門医の頂点にいるような方が癌になり、余命いくばくかになったと本人も驚いている内容のものでした。
精神科医も鬱になるし、鍼灸師も病気になります。
そういった立場の人が、病院に行くと、一定数の頭の悪い方達は
「あんなん、効かんのやねー」と、噂するのです。
でも、私に言わせれば、馬鹿には好きに言わせておけばよいのです。
大切なのは、自分の健康と命です。
自分の命は、自分だけのものではないからです。
もし、具合が悪くなっても、それは自然のことです。
持って生まれた命のバランスと、お天気のようなものです。
思ってもいない災害に巻き込まれるということもあるという事です。
それは、命が生まれてくる瞬間もそうではないでしょうか。
自分の好きなようには生まれてこられません。死んでいくのも同じです。
自分自身もアロマをしているからこそ感じる憤りがあります。
アロマテラピーをやっていたら、薬が嫌いじゃないといけないのでしょうか。
適切な判断をできる事、自分の領域を知っていることが大切だと思うのです。
そんな憤りを感じながら、
ふと、もし、一年前に先生の死を知っていたら?と考えました。
一年前は、娘の受験の真っただ中でした。
無事合格して、ホッとしたのもつかの間、50にしてはじめての一人暮らし。強烈な寂しさ。
その時、同時に先生の死を知らされたとしたら、
とても乗り越えられなかったと思います。
先生の死が伏せられていたことは、絶対に、私には何の関係もないでしょう。
しかし、私への先生の最後の思いやりのように感じました。
バラがきれいに咲いた日でした。
普段、一人でランチに行かない私が、
何故かどうしてもそこに行かなくてはならないと思って行った場所で伝えられました。
【全力であなたを診た】と言ってくださったこと。
私は長年、吉本伊信が創始した自己観察法「内観法」に関わってきました。
その中で、いくら頑張って集中内観しても辿り着けなかった心境に、
漢方を診ることで伴走し、たどり着かせてくださいました。
潰瘍性大腸炎の症状も、大幅に緩和してくださいました。
先生が居なかったら、今の私の命はありませんでした。
最後のバランスは、香り(嗅覚反応分析)がもたらしてくれました。
私には、できると思います。
私にできる恩返しになると信じています。
それが、死者が生者を救う事ができるということだと思うのです。
何より辛いのは、ご両親だと思います。
子どもに先立たれる事は、一番辛い事だと思います。
こころよりお悔やみを申し上げます。

