日々のこと
利休の茶室と抹茶ラテ
手探りの私がたどり着いた、新しい景色
びっくりしました。
今こうして、新しい活動に向けて「どう伝えたらいいんだろう」
と手探りで考えているこの過程が、
かつて1週間の集中内観で味わった「自分への解像度が上がっていく感覚」と、
そっくりだったからです。
知っていたようで、知らなかった感覚。
それは、頭の中で巡る「思い」を、事実のみ見つめ、言葉にする。
という過程をなぞっていたという事です。
集中内観を体験したからこそ、自然にできていたことだと気が付きました。
『集中内観は、「自分の過去を振り返り、観ていきます。」』と、お伝えすると、
多くの方から
「あーはいはい、アレね!だいたい知っていますよ。反省するやつですね」
「私は、後ろを振り返らないので」
そんな声をいただくことがあります。
他にも、
「人生の総浚い」「1週間時間を止めて」「根本から見つめる」「新しい自分が見える」
……新しい、自分?
本当の自分が解る…??
はたして、
今いる私は本当の自分ではないのだろうか。
内観がうまく進まない、難しい性質の私にとって、
「そこを超えてこそ」「心の底からの…」
そういった言葉は、恐怖でした。
私は、できていない。
何度も内観しましたが、
たぶん、
ちゃんとできていないのだと思うのです。
そこを超えなければ、掴めない。
内観の面接をさせていただいてきて、感じている 事実でもあります。
内観では、調べる『三つの項目』があります。
(してもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと)
面接者は、そのルールから大きく外れない限り、
鏡のように聞かせていただくだけです。
よほど三項目に沿っていない場合を除き、基本的に何もお伝えしません。
自分の中での葛藤を
自分に聞いてみました。
そもそも、比べるものなのだろうか?
誰が比べているのだろうか?と。
できないとやったらダメなの?
そこまでいかないと、内観と「呼べない」のか?
”内観の浅い”私には、奥深いことは、
きっとわからないのです。
しかし、そこで思ったのです。
万年浅瀬に生息している生物も
何かしら、お役に立てることがあるのではないか、と。
もしくは、
茶道のように、生死をかけた茶の道と、
抹茶ラテを楽しむ生活
それまでのグラデーションがあるように。
私は、学校の部活がきっかけで、茶道に触れ、
少しだけ、本格的に茶道を習っていた時期がありました。
お家元に若手が修行に行く研修に参加させて頂き、
【利休の茶室】にも入れていただきました。
その時、素人ながらに、【本物】の空間に触れさせていただきました。
内観の世界でも、素晴らしい先生方とのご縁に恵まれてきました。
「本物」の厳しさや深さとの違いを知っているからこそ、
抹茶ラテよりも、もう少しだけ味わい深いものを、
皆さんに「お裾分け」できるような気がしています。
心地よい香りと、ちょっぴり内観。
まず、やってみようかな。
トライアンドエラーになるけれど、それが普通だと思って。
もう少ししたら、私なりの「お裾分け」の形をお知らせできたらと思っています。

