フォトギャラリー

美術館(施設内の廊下)

お茶.png

「お茶の時間」メアリー・カサット Mary Cassatt 1845-1926 | アメリカ | 印象派・女流画家

(The Tea) 1880年 64×92cm | 油彩・画布 | ボストン美術館 印象派を代表するアメリカ出身の女流画家。近代における日常生活での身近な情景や人物の姿を独自の視点で描く。特に母と子など母子像を描く上での心象(イメージ)に関する革新的表現は、当時から非常に高く評価された。1844年5月23日、ピッツバーグの裕福な銀行家の娘として生を受け、1851年から4年間、一家でフランス(パリ)とドイツ(ハイデルベルクとダルムシュタット)で過ごす。1855年のパリ万国博覧会でアングルやドラクロワの作品に触れるも、同年フィラデルフィアへと帰国。同地で数年間勉学に励んだ後、1861年から65年までフィラデルフィア美術アカデミーで絵画の基礎を学ぶ。1866年からはパリに渡り、短期間ながらシャルル・シャプランのアトリエに入門するほか、ルーヴル美術館などで過去の巨匠らの作品を研究。1868年にはサロンに初入選するも、普仏戦争のため一時的にフィラデルフィアへ帰国(1870年)を余儀なくされる。しかし1871年にはイタリアを経由し再びパリへと戻り、精力的にサロンへ出品し続ける。1877年に印象派の巨匠エドガー・ドガと知り合い、多大な影響を受ける。その後、第4回印象派展(1879年)から4度(第4回、第5回、第6回、第8回)同展に出品するほか、アメリカとフランスを中心に、イタリア、スペインなど欧州諸国や中東を歴訪しながら次々と作品を制作。その間、ニューヨークなどで個展を開催するほか、日本の浮世絵に刺激を受け版画も手がけるようになった。晩年は視力の衰えから絵画制作を断念し、1926年に死去。なおヘイヴマイヤーなど裕福な画家の友人らへ印象主義者たちの作品の購入を勧めたことによって、実質的に米国における印象派を普及させたことは、メアリー・カサットの最大の功績のひとつに挙げられる。
赤い屋根.png

「赤い屋根」カミーユ・ピサロ Camille Pissarro 1830-1903 | フランス | 印象派

(Les Toits rouges, coin de village, effet d'hiver)1877年 54.5×65.5cm | 油彩・画布 | オルセー美術館 印象派の大画家カミーユ・ピサロの代表作『赤い屋根、冬の効果』。画家が1872年から住み、本作は80年代まで中心的画題であったセーヌ川下流オワーズ川流域のポントワーズの裏側にあるエルミタージュ地区の風景を描いた作品のうちのひとつで、原題は『赤い屋根の家々、村の一角、冬景色』とされる。カミーユ・ピサロは印象派の画家の中でも、最も戸外での制作を支持・推奨した画家の一人で、本作もエルミタージュ地区のコート・デ・パブ(牛の丘)まで赴き制作した。本作の画面中央部分に描かれる赤い屋根の家々は、エルミタージュ地区旧道の上方に位置する18世紀に建てられた農家で、背景の小高い丘の奥にはポントワーズの街が見える。≪赤い屋根≫と呼称されるゆえ、赤い屋根の家々部分に観る者はその観察を奪われがちであるが、前景に配された果樹園の木々が絶妙に観者の視界を遮り、視点が画面全体へとゆきわたるよう配慮がなされている。また大ぶりかつ大胆な筆触は、家々や木々、丘などに当たる柔らかで素朴な陽光の感覚を観る者に強く印象付ける効果を生み出している。やや小ぶりな画面ながら、細部の描写においても、また構成・色彩など全体的な完成度や観者の心象へ訴えかける高い表現力などから、本作は画家が描いたポントワーズ・エルミタージュの田園風景作品の中でも特に代表作とされている。
01.jpg

パリの街2.png

パリの街3.png

1 2 3 4 5 6