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「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像」ピエール=オーギュスト・ルノワール 1841-1919 | フランス | 印象派

(Irène Cahen D'Anvers) 1880年

65×54cm | 油彩・画布 | ビュレル・コレクション(チューリヒ)

 

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールが手がけた肖像画の代表的作例のひとつ『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像』。本作は(当時としては数少ない)ルノワールの理解者であり庇護者でもあった裕福な銀行家ルイ・カーン・ダンヴェールの三人の女の子供の内、末娘である≪イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢≫の肖像として1880年から翌年にかけて制作された作品である。ルノワールは自身の娘や(画家の)理解者からの依頼などを始めとして、子供を画題とした肖像画を数多く手がけているが、その中でも本作は特に優れた作品として知られている。清潔で上品な顔立ちの中で輝く大きく印象的な瞳、子供特有の白く透き通る肌、肩にかかり腰まで垂れた少し波打ち気味の長い赤毛の頭髪、質の良さを感じさせる青白の衣服、膝の上で軽く組まれた小さな手。いずれも細心の注意が払われながら、綿密に細部まで画家特有の筆触によって描写されている。とりわけ注目すべき点は少女イレーヌ・カーン・ダンヴェールの長く伸びた赤毛の頭髪にある。印象主義的技法(筆触分割)に捉われない画家の個性を感じさせる流形的な筆触によって髪の毛一本一本が輝きを帯びているかのように繊細に表現されている。また少女の赤茶色の髪の毛と溶け合うかのような背景との色彩的調和も特筆すべき点のひとつである。このように大人が子供に対して抱く愛情と、画家の子供の肖像画に通じる微かな甘美性を同時に感じさせる本作は今なお、画家の代表作として人々を強く惹きつけているのである。

 

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「ラ・グルヌイエールにて」ピエール=オーギュスト・ルノワール 1841-1919 | フランス | 印象派

(La balançoire) 1869年

66×86cm | 油彩・画布 | ストックホルム国立美術館

 

印象派最大の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワー1860年代を代表する作品のひとつ『ラ・グルヌイエールにて』。本作に描かれるのは実業家スーランが興した、パリに程近いブージヴァル近郊セーヌ河畔の新興行楽地であった水上のカフェのある水浴場≪ラ・グルヌイエール≫で、1869年夏に友人であるクロード・モネと共に同地へ赴き、画架を並べ描いた作品としても広く知られている。「蛙の棲み処」という意味をもつラ・グルヌイエールの中央には、「植木鉢(又はカマンベール)」と呼ばれた人工の島があり、本作にもその島に集う人々が描かれている。画面右部分には水上のカフェ、画面下部にはセーヌ河を行き交うボートを配するなど、モネの『ラ・グルヌイエール』とほぼ同様の構図で描かれることから、二人が画架を並べ描いていたことがうかがえる。本作にも(現在では)印象主義の誕生と位置付けられる≪筆触分割(画面上に細かい筆触を置くことによって視覚的に色彩を混合させる表現手法)≫が用いられているも、モネが光の視覚的な現象や印象、効果に忠実であるのに対し、ルノワールの『ラ・グルヌイエールにて』では、より水面に反射する光の繊細さと叙情性が強調されていることは、特筆すべき点のひとつである。さらに本作は色彩においても明瞭で輝きを帯びたルノワール独特の色彩的様式の萌芽がみられるほか、エルミタージュ美術館が所蔵している、ラ・グルヌイエールに集う人々や木々の間から射し込む木漏れ日の表現にも着目し、別の構図で描かれた『ラ・グルヌイエール』も注目すべき作品である。

 

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「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」ピエール=オーギュスト・ルノワール 1841-1919 | フランス | 印象派

(Bal du Moulin de la Galette) 1876年

131×175cm | 油彩・画布 | オルセー美術館(パリ)

 

印象派最大の巨匠の一人ピエール=オーギュスト・ルノワールが手がけた、最も世に知られる印象主義時代の傑作のひとつ『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』。1877年に開かれた第3回印象派展に出品された本作に描かれるのは、当時、パリのモンマルトルの丘上の庶民的なカフェで、かつて粉挽き小屋であった≪ムーラン・ド・ラ・ギャレット≫とそこで過ごす人々で、木々の間から射し込み移ろう斑点状の木漏れ日の表現や、喧騒なカフェで愉快に踊り会話する人々の描写は秀逸の出来栄えである。画面手前の人物らはアトリエで姿態を執らせ、画面奥の群集は実際にダンスホールでデッサンした人物らが配置されている本作には、画家が気に入っていたモデルのマルゴを始めとし、ノルベール・グヌット、フランク=ラミー、リヴィエールなどルノワールの友人や知人たちが多数描かれている。本作の光の効果的な表現や曖昧な輪郭、複雑な空間構成など画家の優れた印象主義的な技法は賞賛に値するが、その他にも退廃的でメランコリックであった当時のカフェ本来の姿とは異なる陽気な本作の雰囲気に、幸福な社会や治世を望んだルノワールの世界観や趣向なども示されているとの解釈もされている。なおルノワールと同じく印象派を代表する画家で友人だったカイユボットが購入し、ルノワールの死後にオルセー美術館へと寄贈された本作を制作するために、画家の友人たちが都度、コルトー街の画家のアトリエからムーラン・ド・ラ・ギャレットまで運ぶのを手伝ったとの話が残されているほか、本作より一回り小さい別ヴァージョン(78.7×113cm)が存在し、フィンセント・ファン・ゴッホの『ポール・ガシェ医師の肖像(ガッシェ博士の肖像)』と同様、大昭和製紙(2003年に日本製紙と合併)の名誉会長であった斉藤了英氏が1990年5月に開催されたオークションで別ヴァージョンを109億円で落札したものの、1997年に米国の収集家へ売却されている。

 

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「舟遊びをする人々の昼食」ピエール=オーギュスト・ルノワール 1841-1919 | フランス | 印象派

(Déjeuner des canotiers) 1881年

129.5×172.5cm | 油彩・画布 | フィリップス・コレクション

 

印象派最大の巨匠の一人ピエール=オーギュスト・ルノワールの代表作『舟遊びをする人々の昼食』。1882年の第7回印象派展に出品された本作は、セーヌ河沿いラ・グルヌイエールにあるイル・ド・シャトゥー(シャトゥー島)でアルフォンス・フルネーズ氏が経営する≪レストラン・フルネーズ≫のテラスを舞台に、舟遊びをする人々の昼食の場面を描いた作品である。本作はルノワールの最も世に知られる印象主義時代の傑作『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』に続く、屋内外で過ごす(集団的)人々の描写に取り組んだ作品でもあり、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』同様画家の友人・知人らの姿が多数描かれている。中央の昼食やワインが置かれるテーブルを中心に画面左部分手前には犬を抱き上げる(後に画家の妻となる)アリーヌ・シャリゴとその後ろにレストランの経営者アルフォンス・フルネーズの姿が、画面右側手前に椅子に座り談笑する画家ギュスターヴ・カイユボットと女優エレン・アンドレ(エドガー・ドガの代表作『アプサントを飲む人』のモデルとしても知られている)、そして取材者マジョロの姿が配されているほか、画面奥にはバルコニーへ身体を預ける(帽子を被った)経営者の娘アルフォンシーヌ・フルネーズと会話するバルビエ男爵の後姿や、グラスを口元へ傾けるモデルのアンジェール、その後ろで経営者の息子アルフォンスJrと話をしている(ドガの友人でもある)銀行家兼批評家のシャルル・エフリュッシ、そして画面奥右端にはジャンヌ・サマリーやポール・ロート、レストリンゲスの姿が確認できる。本作では人体描写の形態的躍動感や生命感、色幅の大きい奔放かつ豊潤な色彩描写、明瞭で卓越した光の表現、前景卓上の静物の洗練された描写などにルノワールの(印象主義的)技巧の成熟が感じられるほか、風景描写とやや切り離された登場人物の堅牢で存在感のある表現は注目に値する。また本作はルノワールが印象主義時代との決別や終焉を告げた作品でもあり、画家の重大な転換期における最後かつ集大成的な作品としても特に重要視されている。なお本作は第7回印象派展閉幕後、すぐに画商デュラン・リュエルによって購入されている。

 

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「アルルのゴッホの寝室」フィンセント・ファン・ゴッホ 1853-1890 | オランダ | 後期印象派

(La Chambre de Van Gogh à Arles) 1888年

72×90cm | 油彩・画布 | フィンセント・ファン・ゴッホ美術館

 

後期印象派を代表する画家フィンセント・ファン・ゴッホがアルル滞在期に手がけた最も重要な作品のひとつ『アルルのゴッホの寝室(画家の寝室、ゴッホの部屋)』。本作はゴッホが大きな希望と高い制作意欲を抱いて滞在していた南仏アルルで制作された作品で、(ゴッホが南仏アルルに誘った)画家たちの共同生活場所を想定して借りられた「黄色い家」の自身の寝室が描かれている。画家は弟テオに宛てた手紙の中で本作について次のように述べている。「僕は自分の寝室を描いた。この作品では色彩が全ての要であり、単純化した物体(構成要素)は様々な色彩によってひとつの様式となり、観る者の頭を休息させる。僕はこの作品で絶対的な創造力の休息を表現したかった。」。画面右側の大部分にゴッホが使用していた木製の寝具(ベッド)が置かれ、そこに沿う白壁には二枚の肖像画と不可思議な絵画が飾られている。ベッドの反対側(画面中央)には椅子が一脚置かれており、この椅子は本来白色をしていたことが判明している。画面右側には小さな木机とそこに置かれる瓶や水差し、さらに画面手前に画面中央の椅子とほぼ同様の椅子が配されている。正面の壁には三角形の窓と、その両脇に風景画らしき絵画が掲げられている。寝具、木製の机、ニ脚の椅子、壁に掛けられる絵画、木の床、窓などに持ちられる赤色や黄色の明瞭で鮮やかな色彩と、三面の壁の青味を帯びた色彩の対比は、画家自身も述べているよう本作の最も注目すべき点であり、一点透視図法を用いた急激な遠近法による空間構成と共に、本作の表現的特徴を決定付けている。なお完成後、洪水によって損傷を受けた本作が制作された翌年(1889年)、神経発作の為に入院していたカトリック精神療養院退院後にゴッホは、本作に基づく2点の複製画(レプリカ)を制作している。

 

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