美術商 酔壺亭 (suikotei)

香川県公安委員会許可第811130000264号 
特別国際種事業者(象牙製品等を取り扱う事業者)第02456号
香川県善通寺市弘田町507番地  山本雪子
TEL:(087)763-0602 買い取り専用ダイヤル:0120-161-169
 087-763-0602
お問い合わせ

写真

書画類 ←詳細情報

IMG_6853.JPG

満谷国四郎 【キリンの図】

満谷 国四郎(みつたに くにしろう、1874年(明治7年)10月11日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の洋画家です。十五老とも称しました。

帝国美術院会員、太平洋画会員。明治7年10月11日岡山県吉備郡に生まれました。同24年上京、翌年11月小山正太郎の不同舎に入門し、同31年、明治美術会10周年記念展に「林大尉の戦死」、「妙義山真景」等を出品して其名を知られるに至ります。同33年米国経由にて渡欧し、翌年帰朝。帰朝に際し、明治美術会改組の事があり、同35年木下藤次郎、中川八郎、吉田博等と共に太平洋画会を創立した。爾後文展の開催まで同会に拠り作品を発表しました。「楽しきたそがれ」、「軍人の妻」、「戦の話」等はこの間の作品です。同40年文部省美術審査委員会委員を設置するや爾後毎歳委員を拝命され、同44年秋再渡欧し、大原孫三郎の好意の下に留学2年に及び大正3年帰朝しました。滞欧中の研鑚は其の製作上の主張に著しい変化を来し、渡欧前に示した既に完成に近いアカデミツクな技法を惜し気もなく一擲し、後期印象派の感化を多分に受けた近代派の画風に転じて帰朝後其の勇敢な試みを次々に発表し画壇を駭かしました。其の様式も次第に醇化され、好んで描く裸体と風景とに独自の画境を完成し、詩情に富んだ美しい画面を数多く作りました。晩年の作品は平面化された装飾的な取扱を特色とし、特に色彩感に勝れて渾然たる大家の風を成すに至りました。文展時代の主要作品としては渡欧前の「購夢」、「かぐや姫」帰朝後の「砂丘の家」、「江畔魚商」等が挙げられます。大正8年帝展審査員を命ぜられ、同14年帝国美術院会員に任命されました。大正12年の50歳記念展出品の「樹蔭」帝展出陳の「早春」、「小憩」、「早春の庭」、「緋毛氈」、四皓会出品の「罌栗」等は後年の代表作として特筆さるべきものです。

 

山本倉丘 【秋空】

山本倉丘 【秋空】

山本 倉丘(やまもと そうきゅう、1893年10月12日- 1993年9月5日)は、日本の日本画家。高知県幡多郡出身。本名は伝三郎。

四条派の伝統の上に近代的な様式を加えた花鳥画で知られ京都画壇の重鎮です

日展参与の日本画家であり、花鳥画で知られ京都画壇の重鎮でもあった山本は、明治26(1893)年10月12日高知県幡多郡に生まれました。本名傳三郎。大正7(1918)年早苗会に入り山本春挙に師事し、昭和8(1933)年京都市立絵画専門学校選科を卒業しました。この間、大正15年第7回帝展に「麗日」が初入選し、卒業の年の第14回帝展出品作「菜園の黎明」は特選となりました。春挙没後、昭和14年東丘社に入り堂本印象に師事しました。戦後は日展に依嘱出品を続け、同31年第13回展に審査員として「冠鶴」を出品、同33年社団法人日展発足時に日展評議員となり、第1回展に「★」を発表しました。同40年の第8回日展出品作「たそがれ」で、翌41年日本芸術院賞を受賞し、その後、同54年には日展参与となりました。同53年京都市文化功労賞を受け、同56年京都府文化者、同63年京都府文化特別功労者として顕賞されました。『山本倉丘画集』(同57年)があります。

IMG_6838.JPG

望月玉渓 【秋汀双鴨之図】

望月玉渓(もちづきぎょっけい 1874~1938)

京都で江戸時代より御用絵師を務めた望月家に生まれました。父は玉泉、子は玉成。
名は重信・重蔵、別号に玉禅。父望月玉泉に学びました。
絵画共進会二等褒状受賞。日本美術協会会員、日本画会会員。京都美術協会終身会員。

望月派の伝統的で綿密な作風に加え、四条派を取り入れた上品で柔和な自然描写に定評があります。帝室技芸員の父より受け継いだ品格ある作品を数多く残し、最後の大和絵の名手と言われました。
また人柄も謙虚で奥床しく、多くの人に敬愛されたといいます。

IMG_6846.JPG

東郷平八郎 鑑定証付

東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12月22日(1848年1月27日) - 昭和9年(1934年)5月30日)は、日本の幕末から昭和時代初めの武士(薩摩藩士)、海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。各地の東郷神社に名を残しています。

日清戦争では「浪速」艦長として対処。日露戦争では連合艦隊司令官長として指揮を執り日本海海戦での完勝により国内外で英雄視され、「陸の大山海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と呼ばれました。

 

こちらの作品は鑑定証付です。

IMG_6847.JPG

芹沢銈介 【壺】 鑑定証付

芹沢 銈介(せりざわ けいすけ、芹澤銈介、1895年(明治28年)5月13日 - 1984年(昭和59年)4月5日)は、日本の染色工芸家。静岡県静岡市(現葵区)生まれで、静岡市名誉市民、文化功労者。重要無形文化財「型絵染」の保持者(人間国宝)です。20世紀日本の代表的な工芸家として内外から高く評価されており、民芸運動の主要な参加者でもありました。

こちらの作品は鑑定証付です。

1 2 3
2024.05.02 Thursday