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訪問をありがとうございます。
昔から感じているのですが、なんで休日はこんなに時間の過ぎるのが早いのでしょう?
楽しい時間は短く感じると言いますが、正にそれを実感しているという、おうち大好き人間な私です☆
さて、今日は年末ですが、私はあまりこういったことは意識していません。
なので、今日も通常運転でサイトを更新させていただきます。
ここ2週間でサイトに関する資料を作り、たくさんの方々に拡散しつつ修正をお願いしているのですが、先日、飲みながらこの資料を渡した方から、こんな質問をいただきました。
『この資料はそもそも誰に渡そうとしている?』
というわけで、サイト制作に関しての進め方と広げ方について、ここで書かせていただきます。
私は、リアルではないデジタルのコミュニティサイトをつくろうと考えた時、まず大切にしたいと考えたのは『楽しさと安心の確保』です。
デジタルという顔の見えない関係性の中でコミュニケーションを取るからこそ、来てくれた人が楽しみながら安心して好きな場所につながることのできる環境が大切だと考えているのです。
そして、その安心感が『リアルの活動にも一歩を踏み出してみようかな』という行動につながっていくと思っています。
同時に、地域に興味もない人達に向かって『これからは地域の時代だ!』なんて正論を言っても『は???』となるわけで、『勝手にやってりゃあいいじゃん』となると思っています。
なので、私にとってまず大切にすべきは『すでに地域で活動している方々』であり、その方々が活動を通じて得ている『楽しさややりがい』を、地域に興味の無い方々にも伝播していきたいと考えています。
同時に、『住民に依存されている行政』から公認を受けることで、その場(サイト)の安心感を担保したいと考えています。
つまり、私のコミットメントやビジョン・戦略を知っていただきたいのは『すでに地域活動をしている方々と行政』なわけです。
現在の日本は、国や行政に国民・地域住民が依存している状態だと私は考えています。
そして、良くも悪くもこの国は、ある一定数を超えた人の参加していることは『良し』とされる風潮があると思います。
であれば、地域住民が主体となって活動することを『当たり前化』できたらよいわけで、それを具現化するには、一部の『国や自治体に依存していない人たちが場をつくる』ことが大切だと考えています。
そして『何かここに入っていると楽しそう』『ここはチェックした方がお得そう』というイメージをつくることが大切だと考えています。
『気が付いたら参加していた』『気が付いたら巻き込まれていた』から、自分の居場所と役割を持つことができた時、楽しい社会ができるのではないかな~、と考えています☆
訪問をありがとうございます。
後2日で今年も終わるわけですが、今日は夫のお義母さん・弟と一緒にお義父さんのお墓参りに行ってきました。
お義父さんはとんでもない自由人な人で、私はとても大好きでした。
結婚式の1週間前に亡くなったため、子ども達はお義父さんのことを知りませんが、年に何回もお墓参りには行っているので身近な存在にはなっていると思います。
さて、今日は活動の原動力となる3つの輪について書かせていただきます。
これは簡単に言えば、『(自分が)できること・やりたいこと・やらなければならないこと』の輪の重なった部分の物事に取り組むことが大切、というものです。
が、私の言いたい3つの輪はちょっと違います。
まず、自分がどの分野で取り組みたいかを決めて、『その分野の人たちがやりたいこと・その分野の人たちができること・社会が求めていること』の3つの輪で考えるのです。
なぜこのような考えに至ったかというと、物事は自分一人でできることは限られており、だったら自分を主語にするより、自分を出すのは活躍したい部分の選定だけにして、後はいかに社会にとって有益となるものの目線で考えた方が、結果は出やすいのではないかと思うからです。
例えば、私は20年以上前からコミュニティに興味を持っていて、7年前から『これからの時代は自治体単位のコミュニティだ』というように地域コミュニティの分野に進むことを決めました。
そう考えると、3つの輪はこんな感じになります。
『地域住民がやりたいこと・地域住民ができること・地域や自治体が求めていること』
この視点で、冊子の制作や中小企業家同友会や今回のサイト制作は戦略を進めています。
色んな分野で活躍している人たちがいますが、この方々がなんで成功したかというと、ビジョンや行動を起こす際に『自分』を主語にしていないからではないか?というのが、私の持論です。
キッカケとなる原体験は自分事ですが、そこから課題を抽象化して導き出し、その課題解決に向けて『その分野の人たちにとって、誰しも納得できるビジョン』を出して行動しているから、協力者が増えるというか。
そんなことを考えながら、『あぁ、やっぱり物事の抽象化と具体化のやり取りが思考の整理には大切だなぁ』と実感しています。
私の最終的なゴールは、どんな社会になっても一人ひとりが自分の居場所と役割があり、自分の人生を生きることのできる社会の実現です。
そして、その結果として高齢者にかける費用を削減し、同時に次の世代を担う子どもにお金をかけるようシフトチェンジすることです。
これは、(人は)自分だけ良ければよいではなく、社会の中に自分がいて、いかに次の時代を良くすることに貢献できるかが大切だと考えから来ています。
まずは、それを地域という自治体レベルで滑らかに(自然に)行う。
そしてそれを成功事例として、様々な地域に展開していきたいと考えています。
これは長期取り組みなため、まだ折り返し地点にも行っていないですが、2020年までにサイトの結果を出して、その後は一気に加速します。
2023年までにベースとなる仕組みができれば、日本は世界に対して『超高齢社会に対応できた国』として誇ることができると思うから。
今は何でもできる時代だからこそ、楽しんで取り組みたいなと思っています☆
訪問をありがとうございます。
昨日は午前中にご利用者家族の来社面談、午後から医療機関廻りを行ってきた私です。
そして、明日以降は来年度のWAM助成金の募集要項が出たため、書類作成に追われることになります(ホント、毎日追われている・・・)。
さて、今日は趣味の調べ物と妄想の話になりますが、私はやはり次の時代は『地域』がコミュニティの軸になると考えています。
戦前はムラ社会が大多数の人たちにとってコミュニティだった。
戦後は日本人のコミュニティの拠り所を会社に持っていった。
で、バブルが弾けたのが1990~1991年。
この時って、ちょうど国では『新ゴールドプラン』ができた年なんですよね。
つまり、会社という終身雇用や(家族を含めた)社員同士のつながりなど、所属欲求を満たしてくれる場が解体するとわかった段階で『次のコミュニティは地域』ということを目論んでいたのではないかと思うのです。
現に社会学の方々は、コミュニティの解体には1970年代から警笛を鳴らしていたので、国が学識者の意見を採用し次の時代を考えていたとしてもおかしくはありません。
ということは、国の流れ的に『ムラ→会社→地域(自治体)』の流れになることが、新ゴールドプランで決まり、そのため介護保険制度は社会保険初の“地方分権”なのではないかと考えているわけです。
そのうえで、地域包括ケアシステムや地域共生社会やら、一億総活躍時代やらと国の挙げた言葉を考えてみると、これから取り組む先がよくわかります。
ちなみに、大多数の企業が大きな市場になっている『高齢者』と『地域』について何で参入をしてこないのかというと、『単純にニーズやアプローチの方法が分からないから』だと私は考えています。
そして、それを十二分に把握しているのは、ケアマネジャーなんですよね。
そう考えた時に、今後、ケアマネジメントがどうなろうと揺るがない、自分たちの役割を作るために、今、何をすることが良いのか見えてくるのは私だけでしょうか?
あ、単純にオタクだからこんな考えに行きついたのでしょうか?
訪問をありがとうございます。
当社は本日仕事納めとなりますが、皆さまはいかがでしょうか?
私は軽い二日酔いにかかっています。
そのため今日は、今一度年内のやり残しを確認しつつ、来年にできることは来年に行おうなんてのんびりしています(グズグズですみません)☆
さて、少し前のことですが、とある方がプロプリと怒っているところに遭遇しました。
なんで怒っているのか話を聞いてみると、『〇〇さんは私のお願いをちっとも聞いてくれない』と怒っているのです。
何でも地域活動を行っている中で、いつも協力をしてくれない人がいるようで。
で、その方との交流経過などを聞いていて気づいたのですが、どうも活動団体は〇〇さんに対して、色々と『お願い事』が多いようです。
彼女の言い分は、『私たちは地域のために役立っているんだから、聞いてくれて当然』というスタンスが見え隠れするのですよねぇ。
地域活動自体は素晴らしいことだし、本当に崇高な活動をされていると尊敬した上でですが、『あー、それだけじゃあ〇〇さんは団体の意図するようには動かないよなぁ』と思ってしまいました。
私自身、様々な取組を行っていますが、いくつか気をつけていることがあります。
その中の一つに、『相手に(過剰な)期待をしないこと』です。
物事って、ギブ&テイクなんですよね。
このことを概ねの方は理解されていると思うのですが、自分が気持ちを入れている活動であればこそ、そのことを忘れる傾向は強いと思っています。
人って『自分が恩恵を受けている』と感じたものには自然と貢献度が高くなりますが、そうでない場合は貢献度が下がります。
活動団体が良い悪いではなく、『その人にとって』活動団体に入って感じる恩恵なんですよね。
どんなに活動が素晴らしくても、『その人にとって』意義のあるものになっていなければ、協力を求めても断られて当然というか。
なので、自分が何かの協力を求めた際に、断られたりはぐらかされた時は『あぁ、この方にとっては活動にメリットや恩恵を感じていないんだな』と考えます。
相手が悪いわけではない。
自分の相手への貢献度が足りないか、そもそも活動自体が相手の求めているものと違うと考えるのです。
自分が相手にギブ(与える)から、相手からテイク(受け取る)される。
とてもシンプルなことです。
相手への貢献を何もしていないのに勝手に期待して「あの人は協力してくれない」などと文句を言うのはお門違い。
どうしても協力をしてほしければ、まずは自分自身が相手が納得する形で相手の欲しいものを与えなければ、協力を得られることはありません。
こんな私ですら、冊子の再作時には協力をいただくために通常の何倍も走り回りましたし、満足度を高めるために、皆さんの意見を最大限尊重しながら進めました(未熟な部分は多々ありましたが)。
だから、交流会等何かあった時には協力をいただけたと思っています(本当にありがたい限りです)。
そんなことを考えながら怒り心頭の彼女をなだめつつ、話を聞いていました。
相手を変えようとする限り、彼女の怒りはおさまらないでしょう。
自分が変わらずに相手を変えることは無理なことですから。
そして、『あぁ、だから私は家の中で一番地位が低いのか(家のことを夫任せにしているから)』と気づきました。
あぁ、人のふり見て我がふり直せ、ですね☆
訪問をありがとうございます。
昨日は、ラポールで健康マージャンをしました(人生初!)。
コミュニケーションを取りつつ頭も手先も使うので、本当に脳トレ以上の効果があると実感。
そして、本当に奥の深い遊びだと改めて思いました☆
さて、今は情報が溢れまくっている時代ですよね。
そんな中で、今さらながら地域限定のコミュニティサイトを始めたいという私は、他人様から見たら残念な人に映るかもしれません。
が、世の中を観察していると、実は人って「なんだかんだで色々情報を集めるけど、最終的には身近な人の意見に流される傾向が強い」と私は感じています。
また、これだけ情報が溢れている中で、確実に閲覧してもらえる仕組みは、「双方向コミュニケーション」だと確信しています。
人は自分に一番興味がある。
そして、何かを見聞きすると自分なりの考えや意見を持ちます。
その時に、ちょうど良い具合にアウトプットできる場所があれば、そして、そこが自分の信頼できる場所でレスポンスが返ってくるとなると、ほぼ確実に乗ってくると思っているのです。
特に、経験豊富で知識もあり、かつ、時間的余裕があるシニア世代は、他人の意見ばかりを読むより自分も発信して他者に影響を与えたい方も少なくないでしょう。
また、人は機会損失を何よりも嫌います。
※機会損失:本来なら得られるはずのチャンスを逃すこと。
そのため、自分自身は参加しなくても、地域の情報やり取りがあれば「知っておきたい」とは考えると思うのですよね。
これらの理由で、地域限定サイトでは、双方向コミュニケーション場を設けることを勝手に決定しています。
ちなみに、ここで行いたいことの一つに「直接応援(寄付)できる仕組み」があります。
現在取り組まれている寄付は、一度母体機関が集約し、それを自分たちルールで分配しています。
が、ルールに該当しなくても頑張っている団体はたくさんあるし、地域の役に立っている団体はたくさんあります。
そういう団体にも、活動運営費を稼げる?仕組みを作りたいのです。
そして、応援する側もポイント寄付することによって、応援に熱が入ると思うのです。
このモチベーションと活動運営費の両方があれば、地域団体が場所で困ったり会員の縮小に悩んだりすることは減るのではないかなぁ〜、と思うわけで。
そして、そのスポンサーは地域の企業をアテにしているのですが、企業が応援することで、活動と経済が上手に回ると確信しています。
昔、引きこもりの誰かを天照大神が楽しく踊って呼び出したっいう話を読んだ記憶がありますが、あんなイメージで、楽しさで地域住民を巻き込み、様々な活動に参加→参画してもらえるようにしたいです。
なぁんて、そんな姿を想像してはニヤニヤしている、気持ち悪い私でした☆