インフォメーション
訪問をありがとうざございます。
どうでも良い報告となりますが、私、本日はお休みをいただきました。
夏休みの最終日だったので、あまりに進んでいない子ども達の夏休みの宿題を終わらせるため、子ども達とゆっくり過ごせる機会を持とう思って休みを取ったのですが、何と言いますか・・・私の一方的な思いで勝手に休んだため、子ども達にはすこぶる不評でして。
『お母さん、お昼からばあばも来てくれるし、僕達は良いから仕事に行って来なよ』と、昼前に、小6の長男に追い出されてしまいました。
というわけで、突然の自由時間ができたので、ここぞとばかりに街を徘徊してきました。
欲しい本を探して本屋のハシゴをしたり、興味のある事について調べたり。
おかげで気分転換ができました。
皆さんは月末の今日、いかがお過ごしでしたか?
(あ、本日は介護やケアマネの話ではありません。長男とのやり取りという、ものすごくどーでも良い話になります)
さて、本日のタイトルについてですが、これ、長男の夏休みの宿題(作文)のタイトルなのです。
『社会を明るくするについて、原稿用紙3枚以上5枚以内で書いてきなさい』というのが、宿題の一つにあったのですが、長男にとっては1200字以上2000字以内のこの宿題がどうしてもできなかったらしく、白紙の原稿用紙がありました。
まぁ、親としては、8月30日の22時過ぎにそれ(白紙の原稿用紙)を見つけたら、『どうなっているんだ?』と思いますよね?
そこで私は長男に『まぁ、座れ』と声をかけました。
そして、『何で、まだ宿題が残っているの?』と聞きました。
すると返ってきた答えが、こんな感じでした。
『社会を明るくするなんて、そんな内容書けないよ。第一、今の現状が明るいのか暗いのか、どっちなのかも僕にはわからない』
さすが6年生。
何だか、もっともらしい御託を並べていますが、平たく言えば『なぁんにも浮かばないから書けなかった』ということです。
そこで私は、彼に対する指導の方法を考えました。
そして、長男は考えること(妄想含)が好きなので、多分、きっかけさえ掴めれば書けるかなぁ、という結論に達しました。
まず、長男に『君にとって、「過ごしやすいなぁ」と感じる社会ってどんな社会だと思う?』と聞きました。
すると、『わかんない』という返答が!!!
『いや、何かあるだろう。なんでも良いんだよ。優しさに溢れた社会とかなんでも。なんか一つくらいない?』と聞くと、さらに驚きの答えが返ってきました。
『いや、僕、そういうの良いや。だって、世の中の流れって自分一人の力ではどうすることもできないし、増してや僕はまだ子どもだから。考えても変えられるわけないし、今からそんなことを考えなくちゃいけない意味がわからない。大丈夫。どんな環境(社会)でも、その中で幸せを見つけることができれ良いって、お母さん、いつも言ってるじゃん。』
は ぁ ?
ぜ ん ぜ ん 大 丈 夫 じ ゃ あ り ま せ ん け ど ?
っ て か 、 考 え な く ち ゃ い け な い 意 味 は 、 大 い に あ る ぜ 。
な ぜ な ら 、 そ れ が 『 夏 休 み の 宿 題 』 な ん だ か ら さ 。
第一、未来の予測もできない人間が、しっかりした大人に育つことは難しいし、小学校6年生だったら、既に人生設計を考え、そのために受験勉強に勤しんでいる子もいるというのに。
っていうか、そもそもこの課題は、そんなに重い思考を求めていないよね?
ありきたりの『思いやりに溢れる社会』とか、きれいごとを並べときゃ良いじゃん。
(上記、私の心の声)
と思った私は、長男に質問を重ねることを諦め、寝ようとしている長女と次男を座らせて聞きました。
『あなた達は、どんな社会になったら良いと思う?』
すると、さすがというか、私と長男の大声でのやり取りを聞いていて『いつか自分にも飛び火するだろう』と予測していた次男が、模範解答をすかさず答えました。
『えーっとね。みんなが元気になる社会』
作文的には正解ですね。
そして、長女に聞くと『楽しい社会』と、これまたすぐに返答が。
これを何度か繰り返すうちに、長男がやっと『地球に優しい社会』と『人に優しい社会』と、自分の意見を答えました。
(この時点で既に23:00過ぎ)
次いで、私は質問を重ねました。
『じゃあ、優しい社会って、どんな状況だろう?』
ここで幾つかまた意見があがりました。
そして、最後の質問。
『最後に、その状況を実現するために、どうしたいいかを教えて』
ここでも意見があがりました。
そこまで質問を重ねて、あがった意見をメモに書かせていたのですが、これを原稿用紙にまとめるように長男に伝えたところ、『まとめ方がわかんない』と言われてしまいまして。
『いや、わかんないんじゃなくて、考えようとしないんだろうが』と言いたい気持ちを抑え、母親らしく、丁寧に伝えました。
『まず、全体の社会像(自分にとって明るいと感じる社会像)を書く。その後、具体的にどういうことかを書いて、最後にその実現のためにどうすればよいかを書く。字数が足りなかったら、【まとめ】と称して、この作文を書いたことで、君が感じたことを書けばいいんじゃないのかなぁ』
このやり取りをしながら、私は学校の先生でなくって良かったと、心から思いました。
本当に学校の先生は毎日が修行並みに忍耐の多いお仕事なのでしょう。
怒りの沸点の低い私には、とてもできない役割です。
ここまでのやり取りで0時を回り、明日中に作文を終わらせることを約束して寝ました。
そして先ほど、長男の原稿用紙を確認しました。
・・・。
句読点と改行がやけに多く、『何年生ですか?』と聞きたくなるくらい、平仮名だらけの作文でした。
いやいや、一番の残念は、原稿用紙1枚半しか書いていなかったのです(泣)。
『この後が思いつかなくって』と放置状態でした。
私、長男の評価を完全に間違えていました。
きっかけさえ掴めれば書けるなんてとんでもない。
8割がた書き方を教えても、書けない子でした・・・。
昨夜のやり取りはなんだったのでしょう?
まぁ・・・彼の伸びしろに期待して、他の部分で能力を発揮してくれると思うことにします。
訪問をありがとうございます。
今日の関東は、心配した台風の影響も殆どなく、比較的穏やかに過ごせました。
皆さんの地域はいかがでしたか?
さて、今日の私は、退院前カンファレンスに出席するため、とある病院を訪問したのですが、これが乗り換えが必要な病院で、移動時間に思う存分、iPadで情報を収集したり、そこから思考を広げていました。
早く誰かと話をして、これをアウトプットしたくて仕方がありません。
Mさん、今月は私、マシンガントークでいかせていただきますので、付き合ってくださいね(ニヤリ)。
あ、でも、私自身がこの思考を月末まで維持できるかは自信がないので、取り急ぎ、メールにてぶちまけお伝えさせてください☆
そして、先ほどは、とても嬉しい情報を、とある方からいただきました。
詳細を書けないのが残念ですが、どのくらい嬉しかったと言いますと、スマホを片手に小躍りしてしまったくらいです(それを見た長男に『大人げなさすぎ!』と叱られ、長女は『家が揺れるから止めて!』と言われました)。
いつも思うのですが、私は、自分の気持ちや考えを声に出すことって、本当に大切だと考えています。
なので、それがどんなに無謀なことでも、とりあえず声に出して動いてみます。
その上で、楽しみながら行動に起こします。
そうすると不思議なもので、周囲の方々が、様々な形で助けてくださるのです。
その繋がりが、さらなる繋がりをうんで、その輪は広がっていきます。
最近の私は、ありがたいことに、そのことを体験させていただくことが多いです。
そして、今は私自身、力はなく行動力と勢いしか持っていませんが、いつか(このいつかはかなり先のことでしょうが)、私の力も、誰かの役に立てるようになりたいと、いつも思っています。
本当は、お一人おひとりと顔を合わせてお礼を伝えたいのですが、いかんせん距離が遠い方もおり、なかなかもって全員にお礼を言ってまわることもできないため、取り急ぎ、この場を借りてお礼を言わせてください。
皆々さま、ワクワク感だけが行動の源になっている私にお付き合いいただき、ありがとうございます。
そして、いつも力を貸してくださってありがとうございます。
私、本当は40歳になったら、今までとは違った、しっとりとした落ち着きと余裕のある『大人スタイル』に切り替えようと思っていましたが、こんなにワクワク楽しいことが溢れている今、それは無理だと悟りました。
これからも、個の損得ではなく楽しみながら、少しでも多くの人・次の世代の人たちに、『住みやすい社会だなぁ』と感じてもらえる社会を具現化するために頑張りますので、お力添えのほど、よろしくお願いいたします。
たくさんの気持ちを込めて
感謝です\(^o^)/
追記:暴走しがちな私のため、間違った方向に進んでいる時は、『間違ってるよ〜』と教えてくださいね☆
訪問をありがとうございます。
一昨日から『24時間テレビ』をやっていました。
何年前からやっているのかはわかりませんが、少なくとも、私が高校生の頃には始まっていた記憶があります。
私はこの放送を観たことがありませんでした。
24時間テレビが嫌いとか、そういう理由ではなく、テレビを観る習慣がないので、『24時間もテレビを観続けること』は、私にとっては拷問以外のなにものでもないと感じていたからです。
そして、夫は毎年、24時間テレビを観て泣いていました。
一昨日、夫に強く誘われ、初めてまともに24時間テレビを観ました。
といっても、24時間ずーっと観ることはできませんでしたが、一昨日の夜と昨夜は可能な限り、観るようにしました。
今更ですが、『なんて素晴らしい内容なんだ!!!』と感動しました。
いや、障がいのあるからとかそういう部分ではなく、単純に何かに向かって、ひたむきに頑張る姿というものに感動しました。
テレビを観ていて一番印象に残ったのは、出演している方々が『笑顔』を大切にしていたことです。
笑顔って本当に人を元気にします。
そのことを、何かに全力で取り組んでいる方々、何かを乗り越えてきた方々が話していた姿に、深く共感しました。
その昔、美智子様が『どんなお子様に育てたいですか?』という質問に対し、仰った言葉。
『「幸せな子」に育てるのではなく、どんな境遇に置かれても「幸せになれる子」に育てたい』
まさにそのとおりですね。
幸せは、目に見えるものではなく感じるものだから、気持ちの持ちようで、いかようにも感じることができますものね。
と、騒ぎながら遊んでいる子ども達と、タオルを両手に、目を腫らしながらテレビを観ている夫を観て、『我が家はどうなんであろうか?』と考えてしまいました。
まぁ、うるさい家ですが、絶えず会話や笑いがあるから良いか☆
皆さんは毎日笑って過ごしていますか?
訪問をありがとうございます。
今日は、午後から特養の方に誘われ、とある会に参加してきましたが、午前中に子ども達と近くのスーパーに買い物に行きました。
私は普段家にいない分、日頃から言葉で『あなた達は私にとって大切な存在』とは伝えているのですが、先ほど3人の子と外出し、彼らの行動をみていて、『あぁ、本当にこの子達が私の子どもに生まれてきてくれて良かったなぁ』と、改めて強く感じました。
私が外ばかりに心身が向いているせいか、彼らの団結力がハンパないのです。
そして、そのことを言葉で伝えたら、次男が一言、『じゃあ、夜中に寝ないからって、僕たちを外に追い出すのはやめて』と切り返してきました。
はい。
それとこれとは別ですが、怒りに任せてゲーム機を壊したり、長男が『ゴジラババァ』と揶揄するような大声で怒鳴ることは控えたいと思います。
ちなみに夫は、24時間テレビを観て感動し、泣きすぎたため疲れたと、午前中はスヤスヤ寝ていました。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、今日は『介護の業界で働く人は、未来の予測能力が低くって、同時に、社会保障の動きを把握していないのではないだろうか?』と感じることがあったため、そのことについて考えてみたいと思います。
介護の業界って、どうしてもその地位が低いと言われています。
これ、私は、ある意味当然の結果だと感じているのです。
地域包括ケアシステム構築についてと社会保障の変革について、厚生労働省がアナウンスを始めてから、数年の歳月が流れています。
総合事業についても、昨年度から来年度いっぱいの間に、その移行を行うようにとされていますよね。
それに伴い、医療系はすぐさま、『連携』や『認知症対応』の必要性を感じ、様々な団体が立ち上がると同時に、介護を巻き込んで、このシステムのイニシアチブを取ろうと頑張っています。
この辺りは、FAX等で流れる勉強会のご案内を見ていると、一目瞭然ですよね。
流れを読んで、自分達の立ち位置を新たに築こうと行動しています。
では介護は、このシステムに乗っかって、何ができるのか?
様々な視点からの考えがあると思いますが、私は『地域(住民)や行政・社協・包括と繋がる』ことが大切だと考えています。
具体的には、分かりにくいシステムの構造や、今後国の描いているイメージを、すでに繋がっている住民(利用者や家族)に伝えると同時に、行政や社協と協働して、『地域をどう支えていこう?』という視点で考えることが、とてもとても大切だと感じるからなのです。
なぜなら、地域包括ケアシステム自体が、そもそも住民主体のものであり、同時に介護・・・特にケアマネジャーは、ソーシャルワークも含んでいるため、地域と行政を繋ぐことは、とても大きな意味を持つし、逆を言えば、これができるのはケアマネジャーしかないと考えるからです。
普段行っている『ご利用者と事業所を繋ぐ』ことを、そのまま『地域と行政を繋ぐ』と置き換えていただけたら、分かりやすいかもしれません。
介護であれば、『軽度者は地域で』となる予測を踏まえて、地域に介護技術を伝えていくとか、ボランティアの実習の場として、提供するとか。
考えようで、いくらでもできることって、あると思うのですよね。
ただ、残念なことに、これらを早期に行動に起こしても、すぐに行動を起こした人にメリットはありません。
そこがネックとなっているのかもしれませんが、介護って、声をあげる人・行動力のある人が少ないのですよね。
また、こういう人がいた時に、協力する体制がないというか、受身というか。
私は、専門職の地位というのは、他者が用意してくれるものではなく、自らその役割をつくっていくことが当然と考えています。
しかし、残念なことに、総合事業や地域包括ケアシステムについて理解しているケアマネジャーが少ないどころか、地域の様々な活動自体も、その存在すら知らない専門職がたくさんいます。
『認知症カフェ?聞いたことはあるけど何なの?』とか『え?うちの地域でもそんなのやってるの?』みたいな。
このアンテナの高さに、ひじょ〜に強い危機感を抱いているのは私だけでしょうか?
今の『目の前のご利用者の課題を解決して、介護保険のサービスを把握していればオッケー』という時代は、もう終わろうとしています。
それを踏まえて、インフォーマルの支援に対してのアンテナを高く持つ、他法の仕組みを勉強する、地域を知る、etc、の視点は、本当に大切だと思うのですけどね。
皆さんのアンテナはいかがですか?
これからのケアマネジャーの役割として、どんなことが必要だと考えていますか?
訪問をありがとうございます。
今日の関東は、午前中は晴れてくれたのですが、午後は一時雨が降りました。
皆さんはどんな1日を過ごしましたか?
私は小学校の草むしり(1時間半も真剣に頑張りました)に参加し、午後は認知症カフェに参加しました。
本日のカフェは、NPOが主催しているもので、区の助成を受けています。
その為、開催時には幾つかの規定があります。
月に1回以上の開催や、開催時は2時間以上行うとか、専門職が2人以上いることなど。
その為、毎月参加者兼サポーターとして、楽しみながら楽しませていただいています。
そんな中、本日は様々な認知症カフェを見学している方と、お会いしました。
その方は、全国を廻りながら、様々な形の認知症カフェを取材しています。
また、それをファイルにまとめて、見せていただきました。
『各地域を廻ると、様々な創意工夫が見られます。本当はこれらをまとめて書籍にし、いろんな方々に『私の地域でもこんなカフェをやりたい』と思っていただきたいんですよね』と、その方は話をされていました。
個人的に一番惹かれたのは、『居酒屋カフェ』です。
実は、本日私のご利用者家族の方も参加してくださっていたのですが、一緒にファイルを見ている時、介護者の夫がポツリと言ったのです。
『(妻の介護をするようになってから)何年も誰かとお酒を呑んでいないなぁ』と。
横で聞いていて、私は何だか胸が苦しくなりました。
『お酒を呑む』と言っても、様々な飲み方があります。
一人でしんみり呑む、大勢とワイワイ飲む、仕事の延長で呑むetc。
お酒の味も、その時々の感情で変わるでしょう。
夫は自宅でも飲酒を少しはしています。
でも、それは、必ずしも『お酒が好きだから呑む』だけではないのですよね。
『お酒を呑まないとやってられない』という気持ちが、多少なりともあるのだということを、強く感じました。
要介護者の支援は、様々な形であります。
一方で、『ケアラーサポート(介護者支援)』はまだまだ普及しきれていないどころか、その発想のない方が殆どだと思います。
私自身、4年前に『ケアラーサポート』という言葉を知りましたが、もしかしたら、要介護者と同じくらい支援を必要としているのではないかと考えます。
そして、男性介護者が増えた今、『居酒屋カフェ』があっても良いのではないかと感じたわけで。
ファイルに載っていたカフェは、14時から16時までがノンアルコールの認知症カフェ、その後は店をオープン、という形を取っているようです。
これ、とても良いと思います。
それと同時に、当区でも個人経営の居酒屋や飲み屋はたくさんあるから、それらを活用して、開催してもらえないかを検討してみようと思いました。
16時から、1時間程度呑んでも、近所であれば通所介護の送迎には、間に合うでしょうし。
ベロンベロンに酔うほどではなく、誰かと一緒にグラスを空にする、その行為は十分にストレスを含めた疲れを癒してくれると思います。
来週に入ったら、早速、数人の方に提案をして、意見を聞いてみたいと思います。
また、来月の地域を考える会でも提案してみようと思いました。
個人的には休日となっていますが、様々な場所に出向くと、本当にたくさんの方々と出会い、色々な情報やヒントをいただくことができます。
だから、こういう場所に足を運ぶことがやめられないのですよね。
今日知り合った方とは、お話をさせていただき、名刺をいただきました。
これからお礼のメールをしたいと思います。
人とひとの繋がりって、素晴らしいです。
こういう一つひとつの繋がりを大切にしながら、たくさんの方と繋がっていきたいと思いました。
皆さんの地域のカフェは、どんな感じですか?
※本日のサイトに介護者のやり取りを記載することは、ご本人の承諾を得ています。