主基斎田ものがたり

・・脇山野営場の道を挟んだ向かい側、脇山公民館前の小道の先「主基斎田」跡地の物語です・・・・

昭和3年11月、昭和天皇の即位の大礼が行われるに当たり大嘗祭(だいじょうさい)の悠紀殿(ゆきでん)主基殿(すきでん)に神穀を献上する二ヶ所の斎田(さいでん)が全国から選ばれることになった。

 京都の東から悠紀斎田、西から主基斎田を選ぶという慣例に従って亀ト(きぼく)により東の悠紀斎田は滋賀県、西の主基斎田は福岡県に決定した。

宮内省からの伝達によって斉藤守国知事以下、非常な名誉であると感激する。早速県庁では候補地の選定に入り、まず三十ヶ所が挙げられる、慎重な選考が進められて最後に糸島郡長糸村、筑紫郡山口村、早良郡脇山村が残った。県の選考が進む間、三村は、かたずをのんで結論が出るのを待っていた。3月15日午後2時、県庁から「脇山村に決定」と伝えられると脇山村では全戸、日の丸をかかげ「万歳」「万歳」でわき返った・・・

 主基斎田は脇山村字脇山の石津新一郎氏の所有田約一町(約一ヘクタール)と決まった。水が奇麗で収穫が早いことと風俗人情が純朴であるというのが決定の条件であった。 ここで石津新一郎氏は名誉ある主基斎田の耕作者として太田主(おおたぬし)の称号を受ける。

種籾(たねもみ)は塩水選(えんすいせん)で慎重に選ばれる。

  「塩水選:福岡県農事試験場長・横井時敬が開発:明治時代全国に普及した福岡県の西南農法の技法

6月5日 田植え祭り:宮内省雅楽部の曲に乗って早乙女達によって行われた。

  全ては古式の神事に即して行われ香椎・筥崎・宗像の官幣大社の神官が奉仕した。

9月21日 抜穂の儀:抜穂の斎場は黒木(皮付きの杉)で造成され、ここに勅使を迎えて厳粛に執行された。

9月23日 秋季皇霊祭(秋分の日)刈り取られた籾は、陰干しにしたあと木綿磨き・絹磨きにかけられる。

10月17日 厳選された米三石(450㎏)は12個の白木の唐櫃(からびつ)に収められて筑肥線西新駅より京都に向かった。

 

※ 主基斎田跡の四隅には「大嘗祭主基斎田址」の高い石柱が立ち、

  抜穂の儀が行われた斎場のあとは「大嘗祭主基斎田碑」がある。

※ この碑のそばに「栄西禅師茶徳碑」がある。

  栄西は博多聖福寺の開山で中国から日本に、はじめて茶を持ってきた高僧。

 

追 記

この物語の読者様より昭和主基斉田の話の広がりの問い合わせがあり調査した。

       大嘗祭  旧国名   悠紀田所在地     旧国名   主基田所在地

明治天皇  明治4年  甲斐  山梨県巨磨郡上石田村   安房  花房県長狭軍北小町村
            現:甲府市上石田3丁目       現:千葉県鴨川市北小町

大正天皇  大正4年  三河  愛知県碧海郡六ツ美村   讃岐  香川県綾歌郡山田村
            現:岡崎市中島町上丸の内     現:綾川町山田上

昭和天皇  昭和3年  近江  滋賀県野洲郡三上村    筑前  福岡県早良郡脇山村
            現:野洲市三上          現:福岡市早良区脇山

昭仁上皇  平成2年  羽後  秋田県南秋田郡五城目町  豊後  大分県玖珠郡玖珠町

今上天皇  令和元年  下野  栃木県塩谷郡高根沢町   丹波  京都府丹波市八木町