九州農士学校ものがたり

・・・・・さくら広場に入ってすぐ右手「九州農士学校址」の記念碑が・・・・

昭和6年 昭和主基斎田を記念して山紫水明の地、福岡県早良郡脇山村に「福岡農士学校」を創設した。当時の福岡県知事松本学氏を中心として、安岡正篤、佐藤慶太郎、麻生太吉の諸氏が相諮って創建の実現に努力を払われた賜である。

農村振興の根本的対策は、有為な青年人材を育成するにあるとして全国より、地主及び中堅農家の長男を後継者とすべく募集した。学校の教育指針はすべからく之に依った。以後代々の知事代表者となり本校を経営した。昭和21年、野田勢次郎氏を理事長として財団法人に改組し、校名を「九州農士学校」と改めて時代の推移に対応した。

その後農地解放が行われ学校にとっては苦難の道が続いた・・・その後幾多の変転があり・・・

昭和37年12月より糸島農場は九州電力の農業電化試験場として再生し・・・脇山農場は昭和39年、耕地は地元へ払い下げ、講堂は内野の寺院に売却、学寮は脇山門戸口部落の公民館として売却、その他の土地建物一切は野営訓練所として財団法人日本ボーイスカウト福岡県連盟に寄贈することとした。講堂跡には記念碑を建て永く本校の歴史を保存する標識とした。

顧みて33年間、約256名の卒業生を世に送り出し全国の農山村で農業振興の中核として活躍した・・・