脇山イロイロ探訪

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安楽平神社;肥前の龍造寺氏が早良に攻め入ってきた際に亡くなった小田部勢側の戦死者が祭られています。

小田部親子の墓;安楽平神社境内に入ると向かって左側に小田部親子の墓が建てられています。

小田部鎮元自刃の地;天正7年、肥前の龍造寺氏に攻められた荒平城主・小田部鎮元が自刃したと伝えられる地です。

日吉神社;元治元年(1864年)の秋、地元の人々が読んだ百十句の和歌が奉納されています。

横山神社;神功皇后の建立といわれる脊振神社の下宮で、八つの村の惣社が移設され横山三社となりました。

笠掛天神森菅原道真公が太宰府へ赴任の途中の休息時に、かぶっていた笠を木に掛けて休まれたとのことです。現地名:小笠木の語源

舟石道真公の乗ってこられた船がこの地で石に変わったという船のような巨石が残っています。

大山袛神社;横山神社の末社で、舟石とは徒歩5分程度。

門戸口天満宮道真公が立ち寄られたということで「天神様」とも呼ばれる神社、見事な梅と桜が咲き誇ります。

主基斎田跡;昭和3年の昭和天皇即位の礼である大嘗祭に献上された新米はここで作られました。

お田植え舞;主基斎田での田植えの時に踊った「お田植え舞」が今でも伝統芸能として地元で引き継がれています。

茶徳碑;栄西禅師が中国から茶を持ち帰り、この地に伝えたことが日本のお茶の起源と言われています。

大日如来坐像;大日寺に安置されており天文7年(1538年)現世の無事と極楽浄土を願い建立。(市有形文化財

山伏・大教坊の墓;大日寺の敷地内にあり、安楽平の戦で龍造寺側に加わり、討ち死にしたという大教坊の墓です。

九州農士学校址;主基斎田の所縁の地で昭和6年に福岡農士学校として創設、多くの優秀な人材を輩出しています。

十二社宮;階段を上った小高い丘にあり、苔むした大杉の間で重厚な趣を呈しています。

比丘尼之碑;平安時代熊野の地からきて、この地の発展に寄与した比丘尼(尼僧)の墓があります。

吊溝;比丘尼の功績のひとつである農業用水路、現在でも大切に使われています。

北山神社道真公が立ち寄ったとされる板屋地区にあり、道真公・母・妻といわれる3体の像が2式安置。

脊振神社上宮;神功皇后の建立で弘法大師、伝教大師、栄西禅師といった高僧たちも訪れたと伝えられています。

菅原道真公ゆかりの伝承地です。

※早良区役所HPより抜粋しました。