一言法話

2024-02-16 19:39:00

113.懺悔文


昨年から今年にかけ、政治家の資金パーティーを巡る裏金疑惑、大物芸能人のスキャンダル等々が巷を賑わせております。
皆からあがめたてまつられるような立場になると、善悪の判断基準が麻痺されていくのでしょうか。
仏教では因果応報といって、悪い行いをすれば、悪い報いを受け、善い行いをすれば、善い報いが返ってくると説きます。頂点に上り詰めたような人でも、その人が取る行為によっては、簡単に坂道を転げ落ちてしまうように、その地位を失うこともあるわけです。
これらのことはもちろん全ての人にあてはまることですから、決して他人事で終わらせてしまってはいけません。
真言宗ではお経の前に「懺悔(さんげ)文」という短いご文をお唱えします。「懺悔」はキリスト教では「ざんげ」と読みますが、仏教では「さんげ」です。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
「私は遥か昔から、貪りの欲や自分勝手な怒りによって、正しく物事を見定めることが出来ずに、相手が傷つくような言葉を発したり、誤った生き方を積み重ねてきたことでしょう。私は今、そのことを悔い改めます」

ついつい自分本位な生き方をしてしまう我々ですから、懺悔しなくてはいけないようなことを意識せずともしてしまっているはずです。そんな自らの行いを振り返り、正していくためのご文が懺悔文です。