一言法話

2023-05-01 09:38:00

90.盲亀浮木


今年は長く私たちの目を楽しませてくれた北海道の桜も、風が吹けば桜吹雪と散っていく今日この頃です。

人の生を 受くるは難く やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし

これは『法句経』の中にあるお釈迦さまのお言葉です。

やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし
前回もお話ししましたが、桜と同じように私たちの命もいつかは散る定めです。だからこそ、今こうして生きていられることは有難いことなのだということです。

人の生を 受くるは難く

私たちは人として生きていることを当たり前としていますが、お釈迦さまは人の生を受けることはとんでもなく稀なことであり、だからこそ有難いことだと説かれるのです。

どれくらい稀なことかという譬えとして「盲亀浮木(もうきふぼく)」があります。
岩波の『仏教辞典』にはこう書かれています。
「大海に住む盲(目の見えない)の亀が百年に一度海中から頭を出し、そこへ風のまにまに流された一つの孔(小さな穴)がある流木が流れてきて、亀がちょうど偶然にもその浮木の孔に出遇うという極めて低い確率の偶然性を表す比喩譚」

また、遺伝子研究の第一人者である村上和雄先生は
「一つの命が生まれる確率は、一億円の宝くじが百万回連続して当たることに匹敵する」とおっしゃられました。

一億円の宝くじが百万回連続?そこまでの確立なの?、とは正直、思いますが、いずれにしても私が私として生まれ、今を生きているということはとんでもなく稀なことであり、物凄く有難いことなのだということです。そして大事なのは、その有難い命はいつまでもあるわけではなく、期限付きだということです。
そのことに深く思いを寄せるならば、今以上にこの命大事にしなければとの思いが強くなるはずです。そして自らの命を大事にするための教えがまさしく仏教の教えなのです。