一言法話

2023-04-01 07:37:00

87.行為の意味


日頃、あまり野球に興味を持たない人をも熱狂させたWBCも日本が優勝という最高の結果に終わり、その余韻が続く中、新年度を迎えました。アメリカとの決勝戦も手に汗握る試合展開で、大谷とトラウトという歴史に残るような最後の対決により幕を閉じましたが、その後のネットのニュースを見ていて、印象に残ったのは、試合後の日本のベンチとアメリカのベンチを対比した写真でした。

日本のベンチはゴミ一つ残さない綺麗なベンチ。アメリカのベンチはペットボトルなどが散乱したままのベンチ。これは文化の違い等があり、アメリカの流儀を一概に非難することはできませんが、少なくとも日本に育った私にはゴミをまき散らしたベンチを気持ちよく見ることはできませんでした。まあ、海外の人からすると、試合後の日本の綺麗なベンチを見て「なんて素晴らしい」と見る人もいれば、「滑稽だな、掃除をする仕事の人に任せておけばいいのに」と思う人もいるでしょうが。

詩人であり作詞家の宮澤章二さんという方がいらっしゃいます。この方の「行為の意味」という詩を紹介したいと思います。この詩を抜粋したものが東日本大震災の直後、ACジャパンのCMとして使われ、テレビで盛んに放映されました。

 

「行為の意味」

あなたの心はどんな形ですかと人に聞かれても答えようがない

自分にも他人にも心は見えない

けれどほんとうに見えないのであろうか

確かに心はだれにも見えないけれど心づかいは見えるのだ

それは人に対する積極的な行為だから 

同じように胸の中の思いは見えないけれど思いやりは見えるのだ

それは人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心があたたかい行為になり

やさしい思いがやさしい行為になるとき心も思いも初めて美しく生きる

それは人が人として生きることだ

 

確かに心は目に見えるものではありませんから、本当のところの他人の心、思いというものはわかりません。いや、他人の心どころか自分の心、思いであっても、本当のところはどうなのかと迷うこともあるものです。

でも、誰かを思ってこうしてあげたい、こうしてあげれば誰かの助けになるだろう。という純粋な思いは誰にでもあるはずです。しかし、そんな素晴らしい思いも行為という形にしなければ伝わることはありません。自分の中にある他人を思う慈悲心を素晴らしい行為に変えていく努力をしていきましょう。