一言法話
84.ロバと親子 その2
前回「ロバと親子」というドイツのお話を紹介しました。
このお話から私達は何を学ぶことができるでしょう。
人はどのような行動をとったとしても、悲しいかな、誰かには必ず批判されるものである、ということがその1つとして挙げられます。
どうしてそうなってしまうのかといえば、人はそれぞれの都合、価値観といった色眼鏡によって、自分に都合がいいように物事を判断しがちだからです。
「ロバと親子」に出てくる老人たちは、息子だけがロバに乗っている状況を見て、年寄りを大事にしない息子だと批判します。当の親子2人にはそんな気持ちはこれっぽっちもないのですが、老人たちは自分に立場の近い親父さんの方を哀れに思い、息子の方を親を大切にしないとんでもない奴だとして見てしまうわけです。
子どもを抱いた女の人にしてみると、子どもの方にどうしても感情移入してしまいます。子どもだけがロバに乗れず、父親だけロバに乗っている様子を見ると、子どもがかわいそうで、いたたまれないということになってしまうわけです。
つまりは、人は自分の都合で物事を見て判断しがちなので、どんな行動を取ったとしても、それを批判する人は当然いるということになります。ですから周りの意見にばかり合わせ、右往左往してしまうのは愚かなことだとこのお話は諭しています。だからといって、どうしたって批判されるのだから自分勝手に何をしてもいいんだということではありません。そうではなくて、自分に信を持ち行動することの大事さをこの話はあらわしている思うのです。
お釈迦さまは最晩年にこのようなお言葉を弟子たちに残されました。
自らを灯火とし 自らを拠り所としなさい
法を灯火とし 法を拠り所にしなさい 他をたよりとしてはならない
そしてこうもおっしゃいました。
教えのかなめは心を修めることです
ここで言う法とは仏法(仏の教え)です。お釈迦さまは自分を拠り所としていきなさい、そのためには仏法を拠り所としていかなくてはいきませんよと、諭されたのです。自分というものを拠り所とするには、自分にきちんと向き合い、心を修めていかなくてはいけません。信のないご都合主義で物事を判断していては、自分を拠り所とすることなどできないからです。