一言法話

2022-08-19 00:00:00

65.お施餓鬼

 

お盆を終え、北海道は一気に秋の気配が近づいてまいりました。
前回、目連尊者が僧侶達を供養することによって、餓鬼道に堕ちていたお母さんを救いだしたお盆の由来ともなっている『仏説盂蘭盆経』のお話をしましたが、なぜ目連尊者のお母さんは餓鬼道に堕ちてしまったのでしょうか。一説によると、目連尊者のお母さんは我が子だけを大事にし、他の子どもに対して一切慈悲をかけたりすることがなかったからだと言います。ですから、他人ごとではありません。自分ばかり、我が子ばかりを大事にし、他を思いやる心を忘れた人生をおくったならば、誰しも地獄や餓鬼の世界に堕ちてしまう可能性があるわけです。

また、餓鬼道に関しては、お釈迦さまのお弟子さん、阿難尊者のこんなお話もあります。
阿難尊者は目連尊者とともに十大弟子の一人でお釈迦さまの侍者をつとめられた方です。しかし、ある夜、阿難のもとに餓鬼がやってきて、あなたの命はあと三日しかないと告げました。この餓鬼は口の中が焔と燃え、喉が針金のごとく細く、ものすごい形相をしており、三日後には阿難もこのような姿になる、というのです。しかし、哀れな無数の餓鬼達に飲食の施しを行うならば、その功徳によって餓鬼道に堕ちずにすむということを教えられました。
どうすれば、苦しむ無数の餓鬼達に施しをすることができるのか、阿難はお釈迦さまに相談しました。お釈迦さまは阿難にある陀羅尼(ご真言)を授けられます。阿難はその陀羅尼を唱えて、一器の食物を無量の飲食に増やされ、それを無数の餓鬼に施すことができ、その功徳によって事なきを得たのです。

この話を元として、お盆やお彼岸には餓鬼に施しをする『お施餓鬼』の法要を行う寺院が多いわけです。