一言法話

2022-02-11 00:00:00

46.大欲

 

短い詩節で伝えられた最古の経典の一つ、『法句経』にこのようにあります。

金貨の雨を浴びるとも諸欲には飽くことなし
 さればわずかなりとも諸欲を味わうは 苦しみなりと賢者は知れるなり

欲には限りがありませんし、足ることを知らない者は、いつまでたっても満足することができず、自ら苦しみを生み出し続けるのだとお釈迦さまはおっしゃいます。

しかし、欲は人間が生きて行くうえで必ず必要なものであり、欲を持つこと自体が悪いことだと仏教では説きません。欲にも善・悪・無記(善と悪のどちらでもない)の三種類があり、悪欲は自分勝手になんでも貪(むさぼ)り続ける煩悩であり、これが苦しみを生み出す根源の一つだと考えます。一方、善欲は道を求めて向上したいと考える欲です。誰かの役に立ちたい、誰かに喜んでもらいたいという欲も善欲に入るでしょう。

真言宗では欲をどんどん大きくしていくことを目指します。他の人を蹴落としてもいいから自分だけが得をしたい、贅沢をしたいといった欲を小欲と呼び、これはいけないと考えます。お釈迦さまもおっしゃるように、そんな欲はかえって自分を苦しめる元となるわけです。そうではなくて、欲を大きくしていこうと呼びかけるのです。大きくするとは他者の喜びを願い、共に幸せになっていこうと願う欲に広げていこうということです。お大師さまの生涯はまさにそういったものでした。真言宗の寺院で日々唱えられる『理趣経』というお経に「大欲得清浄(たいよくとくせいせい)」とあります。大きな欲は清浄を得ることができるということです。大きな欲は清らかなものであり、そんな欲を持つことができれば、私たちは仏さまと同じ安楽の境地に立つことができるでしょう。

欲を持つことはこの世を生きるものにとって必要不可欠なことであり、苦しみを生み出す根源である小欲を全く失くしてしまうことは難しいことです。であるならば、そんな小さな欲から、向上心を持ち、誰かの役に立ちたい(利他行)、そして自らと共に他者の幸せをも願うという大きな欲(大欲)へと方向性を変えていけるよう、自らの舵取りをしていきたいものです。