一言法話

2022-01-20 00:00:00

44.無財の七施

 

この冬は、北海道全体で雪の量が多く、車の運転が大変です。元々は二車線あった道路も端に除雪された雪が溜って、一車線となっていたりするので非常に混み合います。小路などはなおさらで、市の除雪が全く入っていないところも多く、車同士、すれ違うのが本当に大変です。誰かの家の前などの雪のない所を見つけては先に相手が通れるように、車を寄せたりすることを互いに繰り返すわけです。この時、譲ってもらった方はお辞儀をしたり手を挙げたりして、感謝の意を示される方がほとんどだと思います。しかし、中にはこちらを見ることもなく平然と通り過ぎて行かれる方もいらっしゃいます。そんな時は正直、腹が立ったり、寂しい気持ちになったりします。

仏教の教えに「布施」があります。「布施」というと仏事の際にお寺に包むお金のことだと思ってらっしゃる方が多いと思いますが、それだけではもちろんありません。お金を使わなくてもいつでもできる「無財の七施」という行為もあります。

1. 眼施-優しい眼差しで人に接し、温かみを与える
2. 和顔施-にこやかな顔で接する
3. 愛語施-やさしい言葉で接する
4. 身施-自分の身体でできることを奉仕する
5. 心施-相手の為に心をくばる
6. 床座施-席や場所を譲る
7. 房舎施-風や雨を凌ぐところを人に与える

以上の7つが「無財の七施」です。日常生活の中で誰でもできることばかりですが、見返りを期待して行う行為は「布施」とはいえないのです。仏教では他人に施し(善の行い)をすることは功徳を積むことであり、積んだ功徳は必ず何らかの形で自分に良い結果として返ってくると考えます。だからといって、施した相手からの見返りを最初から期待して行う施しは、本当の「布施」にはならないと考えるわけです。しかし、私たちはついつい「〇〇してあげたんだから感謝してもらわなきゃ」と考えてしまいます。私が雪道で相手の車に道を譲った際、平然と通り過ぎた方(何か事情があったかもしれないのに)に怒りや寂しさと感じたのも「本当は感謝してもらいたいんだけどなぁ」といった私の狭い心の表れです。これでは「無財の七施」の「床座施」を行ったとはいえません。もちろん功徳を積むこともできないわけです。こんなことを考え、反省しながら雪道を走る毎日です。