一言法話

2021-12-11 00:00:00

40.この世に誹りを受けざるはなし

 

お釈迦さまの時代にアツラという求道者がいました。ある時、アツラは有名な修行者を訪ね、教えを乞いました。ところが、この修行者はひとり静かに瞑想にふけっていて何も説いてはくれず、アツラはとても失望しました。そこで、今度は舎利弗(シャリホツ)というお釈迦さまのお弟子さんを訪ね、同じように教えを求めました。舎利弗はお釈迦さまの弟子の中でも智慧第一といわれた方ですから、深遠な教えを水の流れるようにとうとうと説きました。アツラは「こんなにむずかしい話を聞いたって何もわからない」と腹を立て、次にお釈迦さまの説法を誰よりも記憶し多聞第一といわれている阿難(アーナンダ)のもとへまいります。しかし阿難は言葉少なに大事なポイントだけを話しました。アツラは「物足りん、人をバカにしているのか」と腹を立て、最後にお釈迦さまを訪ね、それまでのいきさつを不満げに話し「どうか私にわかりますように、教えをお説きください」と懇願しました。すると、お釈迦さまはアツラにこのような詩を告げたといいます。

こは 古(いにしえ)より謂(い)うところ
今日(いま)に始まるにあらず
人は黙して座するを誹(そし)り
多く語るを誹(そし)り
また 少しく語るを誹(そし)る
およそこの世に誹(そし)りを受けざるはなし

昔から、沈黙する者に対して誹る(他人を悪く言う 非難する)人はいるし、多言する者に対し悪口をいう人もいるものです。言葉少なに語る者に対しても、「人をばかにしているのか」などと、思う人も出てきます。この世にあっては、どうしたって良く言わない人はいるのですよ
と、人間界の非合理さをお釈迦さまはこの詩で示し、同時に、身勝手なアツラに対し、このようなことで失望したり腹を立てたりして、他を誹ってしまうことの愚かさをも諭したのでした。