一言法話

2021-10-21 00:00:00

35.人何ぞ常に悪ならん

 

出会い系サイトで知り合い、付き合った女性の連れ子に虐待を繰り返し、高温のシャワーを長時間浴びせ、無残にも殺してしまった男。勝手に思いを寄せ、その女性から相手にされず、逆恨みし、女性宅に忍び込み、その女性の両親までも殺害し、その家に放火をした男。
このような事件は後を絶ちません。こんなニュースを見ては、やりきれない気持ちになります。そんな男たちに私たちはどのような感情を抱けばよいのでしょうか。「とんでもない奴だ。許せない」「信じられない。こいつは根っからの悪人なんだ」「理解できない。こんなことができるなんて、この男は自分とは全く違う人種なんだろう」ワイドショーのコメンテーターの発言もこのようなものが多いように思います。

お大師さまは『秘蔵宝鑰』という書物の中で
「物に定まれる性なし。人何ぞ常に悪ならん。縁に遇うときはすなわち庸愚も大道をこいねがう」
と述べられています。
物には定まった性質はありません。ですから、悪事をはたらく人が常に悪人であるということはありません。縁に恵まれれば、どんな人だって正しい道を願うのです。
と、お大師さまはおっしゃるのです。


仏教でいう因果応報の通り、悪事を働けばどうしたって様々な意味において報いを受けるでしょうし、かけがえのない命を殺めてしまうなどという大罪を犯したならば、人間社会の法律にしたがい、罰せられなければいけません。
しかし・・・。お大師さまのおっしゃる通り、根っからの悪人はいないはずであります。ただ、残念なことに、縁(間接的な原因や条件)によって人は誰しも悪人になりうる存在であるともいえます。そこで大事なことは、悪をはたらいてしまうか、そこから逃れ、正しい道を願い歩むことができるかは、自分に関わる様々な出来事(縁)をどのように感じ、どのように受け取るかということにかかっているということではないでしょうか。