一言法話

2021-09-20 00:00:00

32.中道

 

今日、9月20日は彼岸の入りです。お彼岸は春と秋、2回ありますが、期間は春分の日、秋分の日の前後三日間、それぞれ合わせて一週間となります。春分の日、秋分の日は太陽が真東からのぼり、真西に沈みます。昼と夜がちょうど半分ずつになるため、仏教でいうところの「中道」に結びつき、この期間は特別な仏道修行期間だと考えられるようになりました。
さて、「中道」とはいったいどういうことを意味するのでしょうか。

昔、インドのマガタ国に大変なお金持ちの息子がおりました。名をソーナといいます。子供のころから贅沢に育ち、遠くに行くにも台に乗せて運んでもらい、自分の足で歩いたことはほとんどありませんでした。それは足の裏に毛が生えたと評判になったほどでした。
ある時、お釈迦さまの説法を聴く機会を得たソーナは、お釈迦さまの説法にとても感激し、お釈迦さまに対し出家を願い出ました。出家を許されたソーナは、それまでの生活とはうって変わり、厳しい修行に打ち込みました。柔らかい足の皮は破れ、あたりに血が散乱するほどの厳しい修行だったようです。
しかし、そのような努力にもかかわらず、一向に悟りを得ることができなかったため、ソーナはだんだんと弱気になっていきました。
「こんなに頑張っているのに煩悩から離れることもできないし、こんなことでは悟りを得ることなんてできやしない。」
悩んでいる彼の心中を察して、お釈迦さまはおっしゃいました。
「ソーナよ、煩悩から離れられないのは、おまえがあまりにも激しい修行をしているからではないだろうか。人は凝り固まった考えによって行き過ぎてしまうと、かえって目的を達せられなくなってしまうものだよ。おまえは琴を弾いたことがあるかい?弦(いと)を強く張りすぎた琴から良い音がでるだろうか?逆にあまりに緩く弦を張った琴から良い音がでるだろうか?理想的な音を出すには弦の張り方が強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけないのだよ。そのように仏教の修行もあせりすぎてはいけないし、怠けてもいけない。」
お釈迦さまのこの言葉によってソーナはまさしく「中道」の道を進み、やがて悟りの境地に達することができたということです。
「中道」とは中の道と書きますが、ちょうど真ん中、中間ということではなく、努力の末にたどり着いた「ちょうど良きところ」をいいます。それは「自分勝手なこだわり」を離れ、狭いものの見方をこえた自由な境地であるともいえるでしょう。