一言法話

2021-03-11 00:00:00

13.正当にこわがる

 

今日(令和3年3月11日)は東日本大震災が起きてからちょうど10年となる日です。
大震災の犠牲になられた方々のご冥福を改めてお祈りいたします。また、ご遺族の当時の悲しみや苦しみ、そして、今現在のお気持ちは、ご本人にしか知る由もないことであり、心中をお察しすることしかできませんが、年月の経過とともに少しでもその悲しみや苦しみが和らいでいかれますよう願うばかりです。

災難は、いつ、誰の身に降りかかるかわかりません。そのことを忘れて私たちは日々を送っています。一度は耳にしたことのある「天災は忘れたころにやってくる」。これは化学者で随筆家の寺田寅彦の言葉だとされています。寺田寅彦は昭和10年、浅間山が爆発した時に記した随筆『小爆発二件』の中で「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」と記しています。「 正当に、こわがることはなかなかむつかしい」。確かにそうだと思います。私たちが受け取る情報は、それが必ずしも正しいかどうかわかりません。また、情報は伝える人、受け取る自分の主観によって歪められてしまうこともあり、正当にものを判断し、そして、正しくこわがることは意外と難しいことなのでしょう。

当院の宮本孝雄住職から、阪神淡路大震災のボランティア活動を行った際の話を何度か聞いたことがあります。テレビでは、被災者に配られたおにぎりがたくさん捨てられている様子が映し出され、被災者に対する批判的な報道がされていた。しかし1月の寒さの中、体は冷え切り、当初、被災者に配られたおにぎりは冷たいものばかりであったため、おなかがすいていてもどうしても喉を通らず、なくなく捨てられていた、ということが実際に行って活動してみて初めてわかったということです。やはり直接その場に行って、その方たちの目線に立ってみないとわからないことは、たくさんあるんだということです。

私たちが恐れるものは、いつの世にもたくさん存在し、無くなることはないでしょう。今のその代表と言えるものが新型コロナでしょう。仏教では、中道といって偏らないものの見方を大切にしますが、寺田寅彦の言葉の通り、こわがらなすぎることなく、かと言ってこわがりすぎることもなく、色眼鏡を外し、正当にものを見定めることを目指し、この世の災難に対処していきましょう。