一言法話

2020-12-01 00:00:00

3.第二の矢を避けて

 

仏教では「思うがままにならないことを、思うがままにしたいと思うことにより人は『苦』を作り続ける」と考えます。

日々の生活の中で、思うがままにならないことはたくさんあります。
いつまでも若くありたいと願っても、そうはいきません。病気にかかりたくなくても、そうもいきません。大切な人といつまでも一緒にいたいと思っても、それも難しいことです。
お釈迦さまは、そんな苦しみを「第一の矢」と呼んでいます。
そして私たちは続いて「第二の矢」も受けてしまうことが多いのです。
「第二の矢」とは、なんとかしてその苦しみを克服し、軽減させようと、もがくことによって、かえってその苦しみを、そしてそこからくる悲しみを長く留めてしまうことです。お釈迦さまは、仏教を学ぶ者は第二の矢を受けないようにしなくてはいけない。そうすることによって「苦」を逃れることができると説かれました。

ある仏教学者の体験談を読んだことがあります。この方の家の離れには何年もかけて集めた蔵書がありました。しかし隣家の火事によってすべての蔵書は焼けてしまいました。そのどうにもならない悲しみをいかに克服したかという話です。
「最初は悔しくてどうしようもなかった。とんだとばっちりを食って大切な蔵書が灰になってしまった。古く貴重な本は、今からお金を出せば買い揃えられるというものではなかった。あの本たちは『焼かれた』と同じだ。悲しい思いは晴れることなく、苦しみは増すばかりだった。このままではいけない、よし、考え方を変えよう、自分であの本たちを『焼いた』のだ、そう思ってみようと考えた。しかしそんな風に考えてみても虚しさが残るばかりである。そこであの本たちはただ『焼けた』のだ、そのように自分の感情を横に置いて、目の前の事実だけを受け取ろうと考えた。すると不思議と苦しみは薄らいでいった」

このように冷静に物事をとらえることは簡単なことではありませんが、この仏教学者は「第二の矢」を見事に避けました。
生きている限り大小様々な「第一の矢」を受けることは避けられません。しかし「第二の矢」は自分自身の物事のとらえ方一つで避けることが出来るのです。