一言法話

2020-11-22 00:00:00

2.穏やかな心で

 

一時は落ち着きかけたコロナも季節が冬に向かうにつれ、日に日に感染者も増えてまいりました。不安は増すなか、テレビをつけますとコロナに関してのことに限りませんが、様々な専門家、評論家が、時には互いに口論になりながら自説を唱えます。今の若い人たちはテレビを見ることは減り、ネットから情報を得ているといいますが、テレビであれネットであれ、それが正しいのか間違っているのか定かではないそんな情報というものに、私たちは心揺り動かされ毎日をおくっています。
 

『ウダーナ』(自説経)にこのような話があります。
サーヴァッティーというところの王さまが町中の盲人を呼んで一頭の象を触らせ、それぞれ象というものをどういうものと思うかを語らせた。象の耳に触れた盲人は「象とは箕(みの)のようなものだ」と言い、象の頭に触れた者は「象とは瓶(かめ)のようなものだ」と答えた。牙に触れた者は「象とは鋤(すき)のようなものだ」と話し、鼻に触れた者は「象とは丸太のようなものだ」と言い、腹に触れた者は「象とは壁のようなものだ」と答えた。そのうちに、それぞれが互いに自分の主張を曲げずに他の人の意見を非難しはじめた。この人たちはそれぞれ部分的にしか象に触れていないのにそれが象の全体を表していると信じて疑わず言い争っていたのである。

お釈迦さまはこういう喩えでもって私たちに人間の知識は部分的なものであり、あらゆることをありのままに知り尽くすことは難しいことである、そして自分勝手な主張を曲げることなく、ほかの人を非難することは愚かなことだと私たちに諭されるわけです。 
自分の考えというものだけに固執するのではなく、かといって誰かの一つの考えというものに、必要以上に揺り動かされ右往左往し、心荒げたりすることのないよう穏やかな心で生きていきたいものです。