一言法話
128.偏ることなかれ
早いもので3月となりました。今年は20日が春分の日、お彼岸はその前後三日間となります。春と秋にあるお彼岸は昼と夜の時間がほぼ同じとなることから中道という仏教の教えとも結びつき、この1週間はご先祖様を偲ぶ大切な期間とされてきました。お釈迦様が悟りを開かれてすぐ、以前一緒に修行した仲間たちに説いた教えの1つが中道です。中道というと最近では新しい政党、中道改革連合が話題になりましたが、仏教でいう中道とはどういうことを意味するのでしょうか。
お釈迦様は釈迦族の王子として生まれ、衣食住何不自由のない生活を送っていました。しかし、お釈迦様はそのような生活には満たされることはありませんでした。人間は老いて、病に犯され、そして必ず死を迎えなくてはならない。避けたくても避けられないこの世の現実をありのままに直視されたお釈迦さまは、思い通りにはならないその苦しみから逃れるすべを見つけるため、お城を出て修行の道に入ります。自分の身体をとことん痛めつける苦行も行い、最終的には食事をとることも止めてしまい、その体は骨と皮だけになってしまうほどでした。しかし、いくら苦行を続けてもそこに人生の苦しみから逃れる悟りはありませんでした。そこで気づかれるのです。贅沢三昧の生活も体を痛めつける苦行も、どちらも心安らかとなる悟りに向かう道ではないと。お釈迦さまはその後、体調を整えられ、菩提樹という木の下で静かに瞑想され悟りを開かれ、最初に説かれた教えの一つが中道です。どちらか一方に偏ってはいけない、とらわれてはいけないという教えです。
こんな話があります。
戦国時代の剣の達人に塚原卜伝(つかはら ぼくでん)という人がいました。
ある時卜伝に弟子入りを志願してきた男が、卜伝にこう尋ねました。
「わたしは一生懸命に修行します。それで、何年くらいで免許皆伝になれますか?」
「そうだな、おまえはなかなか筋がいいから、五年でなれるじゃろう」
男は再び卜伝に問いました。
「では、寝食を忘れて修行に打ち込めば、何年で免許皆伝になりますか?」
「それだと十年はかかるなあ…」おかしい……と、男は思い、もう一度卜伝に尋ねました。
「では、死に物狂いで修行すると、何年で免許皆伝になりますか?」
「おいおい、それでは一生かかっても免許皆伝はできないぞ」
死に物狂いで修行をしても、それでは逆に遠回りになるとの卜伝の答えは、免許皆伝までの年月にとらわれ、極端に走ろうとする弟子へのまさしく中道の勧めであるといえます。