一言法話

2025-10-01 22:23:00

123.共命鳥


雑宝蔵経というお経の中に共命鳥(ぐみょうちょう)と呼ばれる鳥の話があります。
共命鳥は胴体は一つなのですが、頭は二つあります。それぞれ、カルダ、ウバカルダという名前がついていて、個性や考え方は随分と違いますが、体は一つで命を共にしているところから共命鳥と呼ばれているのです。

ある時のこと、ウバカルダが眠っている間に、カルダは黙っておいしい木の実を一人で食べました。体は一つですから、食べてしまえばどちらの栄養にもなると考え、すやすやと気持ちよさそうに眠っているウバカルダを起こしちゃかわいそうだとも思い、黙って木の実を食べたのです。しかし、目を覚ましたウバカルダは、なぜ一緒に食べようと起こしてくれなかったのか、と腹を立てます。執念深かったウバカルダの怒りはなかなか収まらず、日に日に増していきました。やがて「こいつさえいなければ自分の思い通りに自由に飛び回ったり、好きなように生きることだってできるのに、邪魔なやつだ」という感情へと変わっていったのでした。
そして、カルダに毒の実を食べさせようと計画を立てます。だまされたカルダはまんまと毒の実を食べてしまいました。ウバカルダは、うまくいったと満足げです。しかし体は一つですから、その毒が自分にもまわり、どちらも息絶えてしまったのです。

この話を通してお釈迦さまは私たちに何を伝えようとしたのでしょうか。
私が感じたことは、自分の思いは人には伝わりづらいものだということです。カルダのウバカルダへの配慮は相手には全く伝わりませんでした。伝わらないどころか、かえって恨みを買ってしまいました。言わずとも分かる、というのは理想ではありますが、難しいことなのでしょう。
そしてもう一つ、怒りの感情は相手だけではなく、自らをも苦しめるものだということです。カルダに毒の実を食べさせたならウバカルダ自らにも影響を及ぶことなどわかりそうなものですが、怒りの感情に支配されてしまうと、そんな簡単なことさえわからなくなってしまいます。怒りの炎は私たちから冷静な判断を奪い取ってしまう恐ろしいものです。