一言法話

2025-05-01 15:31:00

118.終わりは始まり


津軽海峡で足踏みをしていた桜前線もようやく北海道に上陸し、小樽でもあちこちで桜が満開となりました。日本人にとって桜は特に人気のある花ですが、その魅力の1つに短い時間で儚く散ってしまうことがあげられると思います。


童謡「ぞうさん」を作詞した、まど・みちおさんは、さくらの花びらが散るさまを深い視点でもって一つの詩に詠まれました。

「さくらのはなびら」
えだを はなれて ひとひら
さくらの はなびらが じめんに たどりついた
いま おわったのだ そして はじまったのだ
ひとつの ことが さくらに とって
いや ちきゅうに とって うちゅうに とって
あたりまえすぎる ひとつの ことが
かけがえのない ひとつの ことが

きれいに咲き誇っていた桜の花びらがあっけなく散ってしまうさまは物悲しいことであり、儚さをも感じるわけですが、それは同時に次の花が咲く準備が始まったということでもあります。時が来れば花びらは散ってしまいますが、また次の年にはきれいな花を咲かせてくれる。そのことを私たちは当たり前だと思って過ごしておりますが、よくよく考えると、それはかけがえのないことなのだとこの詩は訴えます。桜に限らず全ての物事は留まることなく浮き沈みを繰り返していくものです。

お大師さまのお言葉にもこうあります。
それ禿なる樹、定んで禿なるにあらず。春に遭うときはすなわち栄え華さく

たとえ今が、芽が出ないような日々であったとしても、そこを乗り越えた先には花咲く未来が待っていることを信じていきましょう。そして、そんな素晴らしい日々が訪れたとしても、物事が留まることはありません。おごり高ぶることなく大切に日暮しいたしましょう。