淡墨桜とは

淡墨桜は岐阜県本巣郡根尾村(現在は本巣市)にある樹齢1500年以上のエドヒガンサクラです。蕾のときは薄いピンク、満開の時は白色、散りぎわに淡い墨色になることから淡墨桜と呼ばれています。

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根尾谷の淡墨ザクラ © Kenichi_Inagaki
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永瀬医院の桜物語

永瀬医院の淡墨桜は1994年に植えたものです。当時岐阜市民病院に勤めていた院長が、根尾村の患者さんに淡墨桜を案内してもらった時に苗木を分けていただいたものです。実は淡墨桜の苗木は始めは二本あり、二本とも植えたのに一本は枯れてしまいました。それも日当たりの良くて、水もよくやれた方が駄目になりました。始めはそちらの方が勢いが良くて、すくすく伸びて花も咲かせました。一方、今大きく育っている方は始めは淡暗いところの隅っこに植えて貰ったので、一時はもう駄目かと思うほど弱よわしくて、枯れる寸前だったのです。でも細々と命をつないで、耐え抜いて少しづつ頑張って大きくなって今はこんなに立派になり、永瀬医院のシンボルになりました。毎年三月の半ば頃、名古屋市の中でも飛び切り早く開花して、「早咲きの花」として、道行く人の目を楽しませてくれます。

庭にはもう一本枯れかけの桜があります。これは2009年に四国の高知県からやってきたひょうたん桜です。つぼみがひょうたんの形をしているのでこの名があります。これも苗木は三本(三兄弟)ありました。長男、次男、三男と名づけて、長男が一番優遇されていました。しかし、その長男は枯れてしまって、次男が一番勢いよくのびのびと育ちつつあり、三男は細々とがんばっています。ひょうたん桜も残った次男、三男がどうか頑張ってほしいと思いますが、さて、どうなるでしょう。でも、ここで頑張ってくれたら、また苦しい思いをした子のほうが、逆境にもめげないで少しづつ力を蓄えて行った子の方が、後になれば大成するという実話がもう一つ増えます。

庭の奥にある桜は淡墨桜より二年ほど後で植えた枝垂れ桜です。福島県の大玉村の馬場桜を見に行った時に求めたもので、仙台しだれという種類だそうです。特別に名桜の子孫という訳ではありませんが、一旦は枝が痛んでしまったのに、頑張って花をつけるようになったのでこれから大分大きくなるかも知れません。

こうして桜を見ていると、なんだか人生に似ているなあと思いませんか。桜には命ももちろんあるけど、もしかしたら感情もあるのかも知れません。永瀬医院の桜の物語はまだまだこれからも続きます。

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当院の淡墨桜の見ごろ

当院の淡墨桜は毎年3月中旬に花が開き、3月下旬頃見ごろを迎えます。どうぞその頃に満開の桜を見にいらしてください。4月初旬頃は薄墨色の花びらがひらひらと舞い散る様子が美しいです。 pic_sakura04.jpg