助六さんは、三重県でうなぎ屋を経営していましたが
当時、気仙沼に漁船で来ていた知人から、気仙沼は漁業が盛んで大変景気が良く
商売をするのに良いと聞き気仙沼に家族で引っ越してきました(昭和30年頃)
そこで、漁船員の知人と仕込みで立ち寄った市内の精肉店で
自家用(まかない用)のホルモンをご馳走になり
これは商売になると思い
洗い方と味付けの仕方を教えてもらいホルモンの助六を開店しました。
ホルモンの助六は美味しくまた値段も安かったため
たちまち行列のできる店になりました。
その後、あまりに繁盛したため、次から次とホルモン店が増えて
多いときには30店舗程になりました。
気仙沼にこのホルモンという食文化を広げていただいたおかげで現在の気仙沼ホルモンが生まれました。