郡内織のルーツ

西暦1600年頃、山梨県の東部郡内地方は徳川家康の領地となり、西の守りの要として作られた、谷村城の城主として1633年(寛永10年)3代将軍徳川家光の重臣、秋元但馬守泰朝(やすとも)・富朝(とみとも)・喬知(たかとも)3代にわたって藩主として治めていたとき、里人の副業として細々織られていた織りものに目を付け、この織物を生かして富める里にする為、自分の出身地の上州総社(現在の群馬県前橋市)から絹師といわれる織物の技術者を招き、絹糸を作ってくれる蚕の餌となる桑の木を取り寄せ、里人や貧しい下級武士の奥さんに機(はた)を織る技術を教え、織りあがった反物を藩主自ら江戸や京、大阪に土産として持って行き宣伝したおかげで日本全国に郡内織(縞)の名が知られ、大勢の商人が谷村の市に集まり大変繁盛し、甲州織(その後再び郡内織)の産地としての基礎を築きました。(出典谷村織物協同組合)
 時代とともに織物産業も「郡内縞グンナイジマ」⇒「海気カイキ」⇒「甲斐絹カイキ」⇒「八端織ハッタンオリ」⇒「甲州織コウシュウオリ」と変わってきました。
戦後の好景気の波に乗った甲州織は、その先染め織の美しさが評判となり、豪華な婚礼寝具セット(額のように中央に夜具地ー着物の生地のように幅が狭くそれでいて丈夫で美しい生地ーを配した掛ふとん、夜具地で仕立てた敷きふとん、部屋座布地ー緞子判、夫婦判といった幅広く柄も大きな生地ーで作った夫婦座布団、冬座布団一式<八端判10から20枚>夏座布団一式と夏掛は当時近江縮等)同柄一揃いが、絹100%から、絹交や、化繊までのランクで全国各地の商社様問屋様布団専門店様etc.へと飛ぶように、売れていきました。
その後婚礼寝具は、羽毛布団一式と代わっていくようになってきましたが、その中でも高品質の座布団、座布団生地は、評価が高く、今でも座布団の多くのシェアを獲得しています。
インバウンドや、本物志向の方々、お使いになってその美しさと、丈夫さのファンになってくださった方々や、百貨店様、商社様等の支持をうけ、歴史のある伝統織物でありながら、現代の生活に生きる織物として、平成から令和にかけて、改めて
「甲州織」は、「郡内織」として発展しています。、

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