日記
終戦記念日
昨日は、日本では終戦記念日とされています。
玉音放送のあった日ですね。
昭和16年12月8日の開戦日、日本は空母を中心とした艦隊を密かに太平洋に進め、航空機を中心とした真珠湾奇襲攻撃により、アメリカの太平洋艦隊に大打撃を与えたのでした。当時、世界は大艦巨砲時代と言われる戦艦主体の砲撃戦で優位に立つ考え方で主力艦隊の編成を考えていました。空母を運用した航空機主体による艦隊撃滅を想定した空母編成主体による攻撃の優位性を、世界で初めて実戦で証明したのが日本であり、真珠湾攻撃だったのです。この戦い方を立案して進めたのが山本五十六です。連合艦隊司令長官にまでのぼりつめ、対米反戦派だったのに国勢が許さずに戦争となり、指揮をすることになったのです。
真珠湾攻撃は、アメリカ艦隊に大打撃を与えました。
戦艦8隻中4隻沈没、1隻座礁、、3隻は損傷
重巡洋艦2隻は無傷
軽巡洋艦6隻中3隻損傷
駆逐艦30隻中3隻沈没
航空機344機中、188機破壊、159機損傷。
ほぼ、戦艦群を壊滅に至らしめた戦果ですが、山本五十六が目標にしていた敵空母の撃滅は失敗に終わりました。真珠湾に停泊しておらず、発見することができなかったのです。自らが立案した航空機による艦隊撃滅戦の成功は、同時に、真珠湾奇襲という初段の攻撃でアメリカの空母を撃ち漏らしたことで、作戦上の懸念になります。
その後、電撃的に連戦連勝を重ねて戦略的支配圏域を広げた日本軍ですが、珊瑚海海戦でつまずきます。後に世界初の空母どうしの海戦といわれるこの戦いは、
日本は空母3隻中1隻沈没、アメリカは空母2隻中1隻沈没の引き分けのような戦績になりますが、搭載航空機の損失において日本は97機、アメリカは69機と日本の方が多くの損失を出しています。連戦連勝が止まり、ポートモレスビーへの侵攻を断念する戦いになりました。ここでも、日本は、アメリカの空母を撃滅することに成功しませんでした。この失敗が、後の太平洋戦争の転換点となるミッドウェー海戦の大敗北につながっていきます。
ミッドウェー海戦で、日本は空母4隻中4隻沈没、航空機289機を失います。対してアメリカは空母3隻中1隻沈没、航空機150機の損失でした。これよりアメリカ、連合軍の反転攻勢が勢いを増していくことになりました。
その後、絶対防衛圏というラインをひいて、これよりは敵を日本に近づけないという戦いの指針を設けます。このラインを超えてどこかの島を占領されると、直接航空機による日本本土の爆撃が可能になるからです。その最重要拠点がサイパン島だったわけです。サイパン島の陥落は、日本本土に爆撃機が往来することを意味しました。このサイパン島玉砕に至る前に日本は起死回生を目論んだマリアナ沖海戦にのぞみましたが、ここでも大敗北を喫してしまいました。空母3隻沈没の上、搭載していた航空機をほぼ全て失うという壊滅戦でした。物量においては、はなから大きな差がある中で戦力性能的にも負けており、日本の艦載機はアメリカの対空砲火にバタバタと撃墜されていったといいます。
日本が示した航空機の優位性は、皮肉にもアメリカにより日本の艦隊が撃滅され、敗北を喫する要因になりました。
そして、ご存知の通り、B29による日本全国への爆撃で都市部が焦土化された上に、広島と長崎に原子爆弾まで投下され、終戦に至ったのでした。
三重県の津市も、B29による爆撃で中心地は焦土化されています。原爆が落とされる少し前、7月24日と29日のことでした。この空襲で市街地が殆ど焼失しています。それ以前にも幾度かの空襲がありましたが、壊滅したのはこの29日と言っていいでしょう。津観音象だけが焼け残っている写真が残されています。3月から始まった爆撃は、記録に残るものをあわせると2000名以上の死者をだしています。
日本のお盆は、戦争の終焉という特別な日でもあるのです。今年のお盆も終わりですね。
今日はここまで また明日かな by 永瀬 賢