日記
盲人保護法制定に関する請願 昭和4年
昭和2年の盲人保護法制定に関する請願後、再び4年に請願がされることになります。
こちらのほうは、斎藤さんのほか、貴族院78名、衆議院135名で請願していることになっています。貴族院とは皇族、華族などで構成される議員です。まだ参議院はない時代です。昭和2年の請願に比べると、背景で進展があっての請願のような文面に感じます。
まずは、本文をお読みください。
盲人保護法制定に関する請願
東京府北豊島郡高田町大字雜(ざつ)司ケ谷五十一番地
斎藤武彌
外(ほか) 七十八名呈出(ていしゅつ) 貴族院
百三十五名呈出(ていしゅつ) 衆議院
本請願の要旨は我が国の盲人は約十萬に及ふも未た何等(なんら)之に対する保護的施設の見るへきものなく親兄弟等の扶養に放任せられ居る爲悲惨なる境遇に在る者頗(すこぶ)る多きは人道上寔(まこと)に遺憾とする所なり故に盲人に対しては或は教育、授産の途を講し或は一定の箇所に収容し依て其の生活を保障する等之か救済を図るは社会政策上最も緊要のことなりと信す依て速に盲人保護法を制定せられたしと請ふに在り
右 貴族院及衆議院に於て採択すへきものと議決せり
盲人保護に関しては従来盲人の保護救済を目的とする社会施設に対し奨励助成の途を講じ或は恤救規則に依り極貧の者の救助を爲す等相当留意しつつある所なり○して
今般制定せられたる救護法は現行恤救規則に比し著しく救護の範囲及程度を○充せるを以て同法の施行に依り貧困なる盲人は凡て之か救護を受くること、なると○も元来盲人の保護の如きは特殊なる方法に依るに非されは其の徹底を期し難きの感あるを以て此の○に関しては更に充分なる調査研究を遂け将来適当なる方策を講せんとす
右閣議を請ふ
昭和四年六月二十七日
内務大臣 望月 圭
内閣総理大臣 男爵 田中 義一殿
貴族院と衆議院の両方の議院で、採択すべきと議決した、と書いてありますから、その後に再び請願をしているということになりますね。
この年の4月に、救護法という法律が制定されたすぐ後に、この請願がされています。
救護法は、
第1条で
左に掲ぐる者貧困の爲 生活すること能はざるときは本法に依りて救護す
1 65歳以上の老衰者
2 13歳以下の幼者
3 妊産婦
4 不具廃疾、疾病、傷痍 其の他 精神又は身體の障碍に因り労務を行ふに故障ある者
と記述しています。身體の障碍に因り、の身體の體が骨に豊と書く漢字を使用し、障碍の碍が、さまたげるの碍、日本碍子の碍を使用している点が注目ですが、
それはまた後日の日記でテーマにするとして。今回は、救護法で救護対象者として視覚障害者も含んでいるであろうけど、視覚障害者は特殊な方法で保護しなければならない部分があるから救護法では網羅できない、よって充分に調査と研究をして盲人保護法の制定を急いで欲しい、という旨の請願書になっていると思います。
救護法の登場によって、盲人保護法が後手になった、ということなのでしょうかね。この辺りの経緯を調べておく必要がありそうです。
実は、続けて昭和6年に再々度、盲人保護法制定の請願書が出されています。次回は、そちらの方の請願書を読んでみたいと思います。
では、また明日。 by 永瀬 賢