ランプ(ビーチガラス、シーグラス、ひょうたんランプ、珊瑚・貝殻のランプなど)
以下の文章は、かつて私が、現在の議員職とならせていただく以前に経営をしていた「総合習学プラザ・アルネス京彩」(ご高齢者を主たる対象として健康・文化・教養・音楽・芸術等々…全般の総合習学、ならびに子供教育の複合センター ※「経歴・プロフィール」のページ参照)にて、会員様向けに定期発行していた≪アルネス通信≫の中から、少し風変りではありましたが、現在でも交流のあります沖縄の上原正五郎氏について2008~9年頃に書かせていただいたものです。
参考までに、こちらにも(原文のまま)掲載させていただきます。
沖縄県在住の貝殻工芸・ランプ作家の上原正五郎先生(74歳)という方から、ご自分の名前入りひょうたんランプの制作依頼を受け、この2月12日(火)に不肖私(島本京司)稚拙ながらも制作の上、日帰りでお届けに行って参りましたが、この先生から非常な感銘を受けましたので、皆様に何かの参考になればと思い、ここに報告させていただきます。
この方は沖縄の新聞やテレビ、美術誌等々にもよく出ておられます有名な先生ですが、頑固そうな外見とは違い、大変気さくで温厚なお人柄でおられます。
ネット検索で見つけていただき制作依頼をしてこられた当初、私としましては少々ずるいというか打算的な考え、つまりわざわざ作って持って行く上に、通常2万円相当のものを1万円程度にさせていただく代わりに、先方は貝殻収集制作の専門家でおられますので、ぜひそのような良質で綺麗な貝殻や、打ち上げられた珊瑚の残骸などをたくさん拾える海岸・ポイントを教えていただきたい、との思いでありました。そうすることによって、こちらではなかなか拾えず、買っても1枚100円~数百円するものを、一日の時間の許す限りに探して拾って集めまくって持ち帰れば行程経費で割ってもかなりのコストダウンとなり、それらを何十枚使っても予算の大幅オーバーを少しでも抑えて、きっと当方でも良いものが作れるだろうと企んだものであります。
この目論見は見事に当たり、というかきっとそんな幼稚な思いを上原先生は見抜いておられたのでしょう。はじめから段ボール箱いっぱいの貝殻や珊瑚をお土産として用意してくださっていた上に、その日一日、私の飛行機の時間ギリギリまでポイントの海岸を案内同行の上、自らも一緒に必死で拾い集めてくださって、結局あと2箱ほども持ち帰ることができました。
この件も、そしてもちろん拝見させていただいた上原先生の実物作品そのものも、非常に感銘を受ける素晴らしいものでしたが、それよりも何よりも今回私が最も感動、というか驚嘆したのは、上原先生ご自身の若さでした。
体格はどちらかというと小柄なのですが、がっしりとした身体重心で見事に堂々とした背筋の姿勢と顔つや、表情はもちろん声の張り、(日ごろ必死で鍛えて…いたつもりの)私の腕よりも固くて太い筋肉に、海岸にて何時間貝殻を拾い歩いていても疲れるそぶりもない体力(私は限界ギリギリのフラフラ状態でしたが)等々、沖縄の人ってみんなこんなんかな…と思って訊ねますと、先生は若い頃から腰痛や脚の持病等を自己治癒すべく水泳や自転車、ジョギング等を始め、それらが昂じて55歳になってから「トライアスロン」という競技を始めたということです。
トライアスロンとは、水泳3.9km→自転車180.2km→マラソン42.195kmの3種目を1日のうちで連続して競う耐久競技で鉄人レースとも言われ、人間の為し得る最も過酷な競技と言われるものです。通常10代後半~20代の選手がもちろん体力的にも持久力的にも、なんとか耐えうるものですが、その競技を65歳までの10年間続け、主催者側から「もしもレース中に万が一のことがあってはならないから、お願いだからもう出ないで」と言われ、泣く泣くその年で出場参加は止めたが今もなお、孤独などものともせず日々のトレーニングは欠かさない、とのこと。
初夏のような日差しの浜辺で私は、開いた口が塞がらない、まるで海から打ち上げられた間抜けな魚の顔だったと思います。
当日はたまたま琉球NHKの取材にて同行していたスタッフの人たちもいましたが、いくら沖縄県人とはいえその中にさえそんな極端な人はいない、と。
ただ、上原正五郎先生曰く、そんな運動・トレーニングだけが最も大切なことではなく、日頃の気持ちや生き方が何よりも元気さと健康と、文化的・芸術的創造性と進歩の秘訣であると、日がな一日メルヘンチックに大の男が二人、白いサンゴと貝殻を一期一会の形相にて拾い集めながらお話下さった事柄を、わたくし勝手に「マサ語録」としまして以下にまとめさせていただきますので、皆様今後の何かの参考にしていただきけましたら幸いです。
◇食事はお腹がすいた時だけ食べる。
大して空腹でもないのに、決まった時間だからというだけで食べる必要はない。ましてや口が淋しいからと、むやみやたらに間食やおやつを摂らない。ちなみに自分は一日2食。但し、食べる時はカロリー計算等はそんなに気にすることはない。何よりも「美味しい!」と思いながら食べる。でもやっぱり極端に脂っこいものや甘いもの、塩辛すぎるものは少々控えた方がよい。お酒は、自分はあまり飲めない方だったけれども最近練習して、ビール少々なら飲めるようになった。タバコも吸わなかったけれども、75歳になったら吸おうかなと思っている(意味不明)。
(ちなみにわたくし島本京司、20年ほど前から一日一食、夜10時半に人の3倍くらい食べるという不健全な食生活で…体に良くない!と昔からいろんな方に言われ続けて正そうと朝や昼も食べる毎に体調不良を起こして…結局そのままなのですが、と言うと、ほんとはその方が原始的で正解かもしれないので自分がそれで体調良好なら人やテレビやお医者さんの言うことは一般人向けなので気にしないこと。と…)
◇運動は、自分のように極端すぎるのもかえって逆効果かもしれない、―自分は自分の「気持ち」の為にやっている―が、軽い運動や、歩くだけでもいいから毎日ちょこまかと動き回るのが大切。大きな声で歌を歌うのも、腹筋運動をしているのと同じ。自分はいつか音楽の方向にも進みたいと思っている。(?)
◇睡眠は大切。ただし、よく食べてよく動いた後の睡眠。ぐっすり眠って良い夢を。自分はいつも、両手をバンザイの状態にして寝ている。それはなぜかというと、よく巷で四十肩ということを聞くから。あれはきっと普段の生活で腕を上方に挙げることが少なくなると、そのような痛い症状・肩が上がらないようになるのだと思うから。自分はその四十肩というのになったことがないので、それになるのがこわいから今から予防の為にずっとそうして寝ている。(というか先生、その40代をもう30年も過ぎてますけど…。)
◇何よりも最も大切なのは、自分を年老いているなどと思ってはいけない。
冗談や、友達との軽口においても「もう年だから」と言う言葉は慎むべき。仮に本気じゃなくても、自虐的な皮肉でさえも、いつも言っているうちに自己暗示で本当に弱ってくる。精神的にも体力的にも。
最近は30代や40代の子供でさえ自分のことを「オヤジ」などと言ったり、50、60の若い人でも「もう年には勝てない」とか、まだ70、80代のこれからの人が「もうこの先短い」などとバチ当たりなことを言う。
人間は100歳になってはじめて一人前だと思う。だから「100」という数字がある。←(完全に意味不明)。
だから自分は同窓会にもあまり行かないし同年代の友人でも、昔話しかしない人とはつきあわなくなってしまったねぇ。
たとえ70歳でも80歳でも、終わった事ばかり話すより、これからどうしたいか、何をしたいか、この先どう生きたいかを常に考えて、話題にして、そしてできるかどうかやってみないとわからないのだから、やる前から頭だけで考えて到底無理!なんて思う前にぃ、何でも気軽に実行してみるのが良いよね。
難しそうに見えてた事も、やってみると案外簡単かもしれないし。っていうか文化・芸術・技能的な事は大変良いよ、脳にも身体にも、何より精神的にもね~。つーか自分も海岸でトレーニングの休憩中に貝殻いっぱい落ちてるの見てコレで何かできたらラッキ~!とか思ってあんな工芸始めたんだしぃ。(先生、喋り方がだんだんそのへんの高校生みたいになってますけど・・・… なるほど、そうだったんですか。)
以上、まだまだここには記述しきれない程、他にも多くの「マサ語録」を聞かせていただきましたが、折にふれ、またの機会にさせていただきたいと思います。
思いましたことは、皆様ならびに当プラザの先生方の中にも、この正五郎先生と本質的に非常に似通った(女性の方々も)方が沢山おられるということを、少々驚きの気持ちとともに感じた一日でありました。
帰路何十kgかの貝殻や石の入ったダンボール箱を3ケースほど荷物配達窓口へとカートに載せていたところ、修練足らずの私は、なんと久々何年ぶりかにギックリ腰になってしまいました。半分半泣きです。
四分の一泣き。
しかし、体操やフィットネスの先生に教えていただいた治し方、ダンスやヨガの先生に聞いていた予防運動等を時間がある毎に必死で行い、翌日一日でなんとか気合で治しました。
なかなかマサゴロー系かな僕。と思いました。
上記写真は、前回沖縄から持ち帰ってきた珊瑚の残骸で制作したランプです。
珊瑚は海の中で棲息している時はきれいでカラフルな色をしていますが、寿命が来て死滅してしまうとご覧のように白化して海岸に打ち上げられるとのことです。
近年では、地球温暖化が原因であるのかどうか、まだ科学的因果関係は不明確ではあるものの、この暑さ(猛暑)による海水温の上昇により、海水中で発育途上の棲息サンゴまでもが白化し死滅のおそれがあるということです。
いずれにしても環境問題と再生可能エネルギー問題、電力やエネルギーの省使用化を一人一人が考え、意識し、行動しなければなりません。
ということで今回は、
先般ひさびさにお電話した折に上原正五郎流「夏の暑さのしのぎ方」をお聞かせいただきましたのでご紹介します。
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「・・・で、先生。話は変わりますが、沖縄も夏はたいへん暑いと思うんですが、こちら京都の夏も非常に湿度も高くて、ものすごく暑いんですよ。
もうバテバテ寸前。何か、この暑さを乗り切る方法ってないですか?」
「君は 『武者小路実篤』 という人を知ってるかな?」
「い、いえ、すみません。僕、お侍さんとか武士とか…そっち系の人にあまり知り合いは・・・・・」
「バカか君は。京都に住んでいてそんなことも知らんのか。昔の有名な文学者の人だ。」
「・・・はぁ、その文学の人がどうかしたんですか?」
「聞いた話だが、京都にもゆかりのある実篤は或る人から 『武者小路流 暑い夏の[涼]のとり方』 を尋ねられて、
『祇園の祭の鐘の音聴こゆる午後四時半、寺町京極三島亭にて二階の窓際、すき焼を食する』 と云うような主旨ののことを言ったとか言わないとか。」
「どっちなんですか。というか、なんですかそれ?何かの罰ゲームですか?」
「だからな、暑い時にわざわざ西陽がまともに差し入る暑い場所で、熱くて栄養のあるものを食べる、ということ。」
「なんで、それが 『涼のとり方』 になるんですか?よけいに暑くなるだけでは・・・?」
「そんなことはない。暑いからと言って涼しい処ばかりでじっとしてたらどんどん身体が弱るだけ。
暑い時こそ、たくさん食べて水分もいっぱい摂って、わざわざ暑い外でも歩き回って滝のように汗を流せば、
その後は体も心も軽く涼しげ、サッパリ生き生き!ということで自分もこうして毎日、炎天下の暑い外を歩き回っている。」
「はぁ・・・、そんなもんですか。・・・」
「そんなもんだ。とにかく閉じこもってたらダメ。外に出る。
ただなんとなく出るだけでは、すぐに帰ってクーラーの効いた部屋で冷たいものばかり飲んで、
つまらんテレビにボケーっとしてしまうだけだから、何か楽しみや目的の為に外に出る、
汗をかく、水分も栄養もたくさんとる!でも帽子やサングラスは忘れないようにね。
紫外線はお肌の大敵だからね。」
「変なところでデリケートなんですね、先生。」
「あたりまえよ。琉球男は皆色黒、なんてそれはちゃんと日焼け対策してないから。
中にはワシみたいにお肌のきれいな男前もいるんよ。」
「で、先生はどんな目的で外に出るんですか。」
「もちろん貝殻・珊瑚拾いと運動を兼ねて毎日海岸を10km。
帰りは20kg担いで帰ってたら、きれいなおねーさんが、『あ、マサゴローだ。かっこいい。』 て言う。 ふふん。」
結局目的はモテたいだけかい、先生。
ということで、皆さん、夏も元気に歩きまわりましょう。
熱中症には気をつけて。。。