信 仰

聖書について

  『聖書』を神様の言葉と信じます

嵯峨野教会は
『聖書』は誤りのない神様の言葉であると信じています。
『聖書』はわたしたちの信仰と生活の唯一の規範であると信じています。
教会堂の正面祭壇の上に聖書を置いているのはそういう態度を表しています。

 『聖書』はあなたへの神様からの手紙です

聖書は最も新しい部分でも、2000年近く前に書かれました。
けれども、そのメッセージは現代に生きるわたしたちにも通じるものです。
聖書には、神様がわたしたちを愛して、救おうとされるご計画が書かれています。
聖書には、わたしたちが日々生きていく上で必要な知恵がいっぱいつまっています。

 

神様

 三位一体の神様を信じています

嵯峨野教会は三位一体の神様を信じています。
神様には「父」・「子(キリスト)」・「聖霊」の3つの位格があります。
それらは互いに1つの神性を共有しているので一体です。

 キリストが救い主であり、神様であることを強調します

神の御子、キリストは見えない神様の、目に見える姿です。
キリストは人類を罪から救うために、
身代わりとなって十字架にかかって死んでくださいました。
死んだ3日後に、よみがえり、天に昇り、今も生きておられると信じます。
今も生きておられるキリストによって、わたしたちに救いと癒しが与えられると信じます。

救いについて(新生)

 誰でも救われます

救われるために資格や財産や地位などは必要ありません。
人種、国境、言語、文化、年代をこえて
どんな人でも、神様の救いを受けることが出来ます。

 「救い」とはキリストを心に迎えることです

わたしたちのいう救いとは、永遠の命であるキリストを心に宿すことです。
それは聖霊によって与えられます。
「聖霊を受けること」=「キリストを心に宿すこと」です。
救われることは「新しく生まれる」ことです。
今までの価値観が変わり、新しい人生をスタートすることができます。

 信じて神様の御名を呼ぶことで救われます

イエス・キリストこそ神様であり、救い主であると信じて、
神様の御名(みな)を呼ぶことによって救いの保証である聖霊を受けることができます。
聖書に「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」(ローマ10:13)とあるからです。
わたしたちは、神様の御名が聖書に12個あると信じています。
集会では特に「我は主なり」「神は愛なり」(いずれも文語訳聖書から)という御名を呼ぶことが多いです。
それは、この2つが最も根源的でわかりやすい御名だからです。

キリストのように生きる(聖化)

 救われた人は生きる姿勢が変わります

心にキリストを迎えたときから、キリストがわたしたちの生きる原動力になります。
そのときからキリストのように愛し、キリストのように生きたいと願うようになります。
救いのための修業ではなく、救われた結果として生き方が変わります。

 清く生きたいと願います

わたしたち嵯峨野教会のメンバーは清く生きたいと願っています。
わたしたちに罪を犯させる可能性のあるものと関わりたくないと思っています。
けれどもそれは、浮き世離れし、どこかにこもることを意味しません。
わたしたちのいる社会の中で、神様の愛を現す存在になりたいということです。

いやしについて(神癒)

 心と体のいやしを求めます

わたしたちは、聖書の中に書かれているような「奇跡」が今も起こると信じています。
神様は聖書の時代とかわらず今も生きて、働いておられるからです。
神様は求める人に心と体のいやしを与えられると信じます。
わたしたちは病気の人のために積極的にいやしを祈ります。
牧師は求める人には手をその人に置いて祈ります。これを「按手」と呼んでいます。

神様の計画について(再臨)

 歴史の中に神様の計画があることを信じます

嵯峨野教会は人類の過去、現在、未来の歴史の中に神様が働いておられることを信じます。
「聖書」はやがて、戦争のない平和な世界が到来することを約束しています。
わたしたちは現在の幸せのためだけでなく、未来の幸せをも祈ります。

 平和の鍵はイスラエル民族

『聖書』の中で、人類の歴史に重要な働きをする民として、神様はイスラエル民族を選ばれました。
『聖書』も、(血統的に言えば)『イエス』も、ユダヤ民族を通して人類に与えられました。
イスラエル民族は、神様の救いの計画が人類に実現されるように働く使命があります。
わたしたちは、はやくイスラエル民族が神様の救いを体験するようにと祈ります。
そのことによって、世界に平和がおとずれると信じます。

 キリストが再び来られる

わたしたちは、イエス・キリストが再び人類の前に来られることを信じています。
これを「再臨」と呼んでいます。
キリストの再臨によって人類に決定的な救いが与えられることを聖書は約束しています。
わたしたちは、その日が来るのが早くなるように祈っています。