ナマコに引き寄せられるように海士町と出会い、
島で唯一ナマコを加工している「ナマコ屋さん」に話を聞かせてもらおうと訪ねてみたら、
そこは「但馬屋」という民宿でした。
米や野菜、魚の自給から、渡船・畳屋に至るまで・・・。
まるで田舎の総合商社のようなところ。
ナマコの加工は、その但馬屋の生業のひとつとして、冬場に続けられてきたものでした。
但馬屋のじっちゃんとばっちゃん
海・山・田畑が揃った海士町で、
何もないところから身一つですべて作り上げてきた「じっちゃんとばっちゃん」の、
半農半漁の暮らしに魅せられ、移住。
それが今ある「株式会社たじまや」の始まりにもなりました。
干しナマコは、
平安時代には朝廷へ献上され、江戸時代には俵に詰めて中国へ輸出されてたという、
島の重要な産業だったそうです。
その産業を、守り伝えていきたいという思いから、
但馬屋が何十年もかけて島の漁師たちと守ってきた生業に、寄り添う「寄業」という形で、
2007年に「株式会社たじまや」を設立しました。
以来、より美味しくナマコを味わってもらうための試行錯誤を重ね、今に至っています。
こぢんまりと、でも大切に。
ナマコという生き物は、卵から幼生の間に潮の流れに乗って、2週間余りの旅をするそうです。
その後、海底に降りてからは、一生をその周辺で暮らします。
ナマコの味は、ナマコの暮らす海の味です。
この小さな島では、
その海と集落が隣接しており、田んぼまで10メートルも離れていない、という地域もあります。
陸でどう暮らすかが、ナマコのいる海はもちろん、島の未来を大きく左右する
ということを肌で感じずにはいられません。
自分たちが使うもの、食べるものを見直し、
農薬や化学肥料を使わない農を営み、海・山・田畑のつながりを大切にしていくことで、
たくさんの生き物が暮らせる海と、そこから生み出される味を、次世代に伝えていきたいと思っています。
代表 宮﨑 雅也