この地の豪族川治(今は河治姓が多い)近右エ門が、石瀬村の種月寺の名僧に帰依し、念願がかない西国の霊場33ヶ所を巡礼した時に、京都の石工に彫らせたと伝えられている。種月寺までの道中に点在供養を計画したが、名僧の教えで承応元年(1652年)、現在の地に安置したものである。観音像は比叡山の仏像に似ている。