木霊って知ってっか?
「ヤッホー」って言って返ってくるヤツのことじゃない。
魂があるのは人間だけじゃない。この世の中にあるモンには、みんな魂があるんだ。動物達や昆虫や魚、草や木や岩や石ころにだって魂はある。木霊っていうのはな、木に宿っている魂のことだ。それも、そこら辺にある普通の木に宿っている魂のことじゃない。樹齢が百年も二百年も超えて、長い年月を生きている木に宿っている魂のことだ。
長く生きている樹木は土地を治めている。木の実や樹液で生き物を育て、それを食べた動物や鳥や昆虫達の糞尿と落ち葉が土地を育てる。生き物が吐いた息を吸ってきれいな空気に変える。晴れた日は木陰をつくり、風や雨や雪の日は生い茂る葉っぱでみんなを守り、枯れ枝や倒木は家となり薪となって火を点してくれる。そうやって土地に住む生き物の生活を見守っているんだ。
いいや、
土地のモンだけじゃない。森の栄養は川を伝って海に流れて、川や海の生き物の命も守っている。だから、樹木は神様になる。大地にドッカと根を下ろして天高く立っている木は、ご神木として祭られていることが多いワケさ。
もちろん話だってできる。山ん中に入った時にカーン、カーンって音がすることがあるべ。風もないのにサワサワ葉っぱが擦れる音が聞こえたりする時があるべ。あれがそうだ。洞なんかでも音の響きが違ってくるからな。人間にはわからんくらいに葉っぱや枝を動かしたり、擦る速さを変えたりしてな。そうやって話をして世界中の出来事を伝え合っているんだ。
人間達のような頭の形ではないけどもさ、本当に知恵のあるヤツラだよ。なんせ何百年も何千年も生きるヤツラだし、外国には四千年以上も生きている木だってあるくらいだから、神様って呼ばれたって何も不思議なことなんかじゃないって。ヤツラにしてみたら、オレ達人間の知恵なんてモンは笑っちまうくらいな浅知恵でしかないんだべね。きっと。
とにかく、木は生き物の出すモノを何でもきれいに浄化してくれる。息や糞尿だけじゃない。悲しさや切なさ、悔しさや恨みみたいな情念なんかも取り込んで浄化してくれる。ムシャクシャした時に山や森に入ると気分がスカッとなるべ。あれがそうだ。特に木霊がたくさんいる山や森では入った途端に気分が晴れ晴れとするからな。
だから、木を無闇に伐っちゃいけない。枝を折ってもいけない。お前だって指や腕切られたり折られたりしたらかなわんべ。それと同ンなじだ。
表面からは見えないところにある洞には木霊が取り込んだ色んな情念が封印されている。木霊になった木を伐るとそこに封印されていた浄化されていない負の情念がバケモノになってこの世に放たれることになる。特に人間の念は強いから、浄化されるまでには何十年も何百年もかかる。封印されていた念が浄化された洞は中が空っぽになっているから風が吹けばそこからポッキリと折れる。そして土に返るんだ。だから、木霊を無闇に伐ったり折ったりしてはいけない。全ては自然に任せておれば良い。
オレが先人やアイヌの人達から学んだことだ。
これから話す話は怖い話じゃない。切ない話だ。自然をないがしろにした人間の身勝手さの話だ。
北海道の栗山という町に「泣く木」と呼ばれている木があった。『あった』っちゅうのは、伐られて朽ちてしまったからだ。現在はそこに二代目が育っているけど、それは後の話。今は泣く木という樹齢二百年とも三百年とも言われていた大きなハルニレの木の話だ。
北海道が『蝦夷』と呼ばれていた頃は、栗山の辺りも大きな木が生い茂っている豊かな森だった。その頃の北海道は、アイヌの人達が自然と共に生活していたんだ。けどな、明治になって国策で北海道の開拓が本格的に始まって、日本の各地から渡って来た多くの入植者達が、いろんな思いや希望を胸に抱いて、あちこちの土地をどんどん切り拓いていった。
その頃の話だか、その前の頃の話だかは知らんけど、ここら辺の土地に暮らしていたアイヌの娘と倭人の男が恋に落ちたんだと。でもな、どっちの親も猛反対したらしい。それで二人は「この世で結ばれないんなら、あの世で幸せに暮らそう」と、大きなハルニレの木に想いを託した。死んでからも愛着のある土地を見渡せるようにってな。二人並んで手をつないどったらしい。その頃は人種とか家とか宗教とか色々なモノが自分達の気持ちよりも大事な時代だったから、想いを遂げるにはそうするより仕方なかったのさ。本当のことかどうかはオレにはわかんね(わからない)。ずっと昔から言われていたから、きっとあったんだと思うよ。
だけど、この木にまつわる悲しい話はそれだけじゃない。
内地から人がいっぱい来てからは、開拓した土地と土地をつなぐ道路や鉄道を作らなくてはなんね。特に栗山の辺りは近くに夕張炭田があったから、石炭を運ぶための鉄道を急いで作る必要があった。そこで、三笠にあった市来知集治監、今の刑務所だな。そこの囚人達を使って道路や鉄道を作った。ろくに寝かしてもらえんし、飯も食わしてもらえんかったうえに、想像以上に辛い作業だったから死んでいく囚人達も多かったらしい。三十人以上はいたらしいよ。
けどな、弔ってなんてもらえね。死んだらハルニレの傍に穴掘って埋めるか、そこに積み上げられて土被せられてたらしい。生きている囚人達への見せしめだったかもしれんね。でも、ここら辺はまだ良い方かもしれん。上川や網走の方では「人柱」って言ってな、死んだら地盤の弱い場所やトンネルの壁に立った姿で埋められたんだ。それぁ地獄だ。死んだって眠ることは許されずに働かされるんだもの。どっちが良いかなんて比べるモンでもないけどさ、まだここら辺は眠らしてくれたから、ちっとはマシなのかもしれんね。したけどよ、ほとんどの人が、生国には待っている兄弟や家族がいたんだろうと思うとな、本当にかわいそうな話だ。
こんな話もある。工事の者達が暮らしていた土方部屋の近くを通った女の人に飯炊きを頼んだんだが、土方どもがその女の人を何日も何日も次々となぶりものにした。逃げては連れ戻されを何度も繰り返したある日、女の人はハルニレの木のところまでようやく逃げてきたけど、もうこれ以上逃げ切れないことを悟ってこの木に身を委ねた。その後も、しばらく木の枝に女の人が結わえた腰紐が残っていて、ゆらゆらと揺れながらこの世を儚んでいたっちゅうことだ。
当時は、命が尊いものとされていたのはホンの一部の人達で、国策の方が人間の命よりも何倍も何十倍も重い時代だった。ほとんどの者達の命なんて虫けらも同然に扱われた。まして囚人やタコみたいな底辺にいる人間ならなおさらだ。そういう人達の浮かばれない魂から無念の想いを取り込んで、木は天に魂を送ってあげるんだ。その想いを洞の中に封印し、浄化させながら木は木霊へと成長していく。
そういう人達の汗と涙で北海道の開拓は行なわれた。だから道内のいたるところに、無念の想いを抱えて死んでいった者達の情念を取り込んだ樹木がある。山ん中に注連縄が張られた木や、風化しかけた古いお地蔵さんがポツンといたりすることもある。たった百五十年くらいの歴史しかないのにな。
四六時中忘れるなって言うことではないけどもさ、そういう人達の働きがあって、現在の暮らしがあるっちゅうことをオレ達は解って生きていかなくてはならんのさ。北海道に生まれて暮らしていくっちゅうのは、そういうことを背負って生きていかなくてはなんねっちゅうことだ。
このハルニレの木が「泣く木」と呼ばれるようになったのは昭和になってからだ。
栗山トンネル沿いの道路を拡げる工事をする時にな、この大きなハルニレの木が邪魔だったらしい。伐ろうとして鋸を入れると泣き声がして、刃を入れた者に災いが振りかかるようになった。熱が出てうなされたり、鋸の刃が折れて身体に刺さって重傷を負ったり死んだりしてな。馬を曳いて倒そうとした時なんかはロープが切れて曳いていた馬が死んだっちゅう話だ。
そういうことが続いて、このハルニレの木を伐ると災いが起こるとか言われるようになった。そして「泣く木」っちゅう名前がついて恐れられるようになった。
ハルニレっちゅう木は堅い木だから、伐る時の音が女の人の泣き声に聞こえたんでないかと言う人もいるが、オレはこの木は本当に泣いたんだと思う。
それというのもな、木の傍の掘っ立て小屋を寝ぐらにしていたルンペンや近くに住んでいた大人も子供も泣き声を聞いている。木を伐ったから泣くんではない。何か良くない事が起こるのを知らせるために泣いてたんだ。その証拠に「木が泣いたから気をつけろ」とみんなで言うとったらしい。するとその後でな、大水やら事故やら、必ず何か良くない事があったんだと。事が起こってから言っていたんじゃないから、これは本当にそうだったんだと思う。
問題は人間の方に聴く耳を持っているかいないかなんじゃないかな。
まぁ、信じる、信じないは人の勝手だから、オレはどっちでも良いけどよ。世の中には目に見えないモノはたくさんあるし、道理の通らない不思議な出来事だって結構あるっていうことも覚えておいた方が良いよ。
そういうことがあって、「泣く木」はだんだん有名になっていった。町の人達もその木を恐れながらも生活の一部っちゅうか、見慣れた風景の中にあって当然の存在になっていたんだな。
したから、昭和二十九年の洞爺丸台風で真ん中辺りから木がポッキリと折れてしまった時は、みんな残念がったらしい。幹には大きな空洞が空いていたっていうから、たくさんの情念を取り込んでいたんだね、きっと。そして、たくさんの想いを浄化してきたんだよ。
それから十年以上過ぎた頃、夕張川の護岸工事と国道の舗装工事が行なわれることになった。工事を請けていた会社の人夫達が夜に酒を飲んでいた時に「泣く木」の話になった。そこで一人の酔った若い人夫が「そんなの迷信に決まってる!」って酒の勢いもあったんだと思う。人夫同士で金賭けてな、チェーンソーで一気に伐ってしまったんだ。「泣く木」は一メートルちょっとの高さの切り株だけになっちまった。木を伐った人夫はその後何十年も生きているらしいから、祟りや何だっていうのは迷信だったって言う人もいるけど、オレは違うと思う。
鋸で伐ったんならともかく、チェーンソーだもの。モノの数分で伐れちまうから泣く暇なんてないべさ。人間だって鉄砲でバーンってやられたらひとたまりもないべ。それと同ンなじだ。仮に泣いてたとしたって、チェーンソーの音うるさくて聞こえなかっただろうしな。
途中から折れちまっていても「泣く木」はその時までは生きていたんだ。チェーンソーで伐られた時に死んでしまった。伐られたところの洞の大きさ見たらわかるけど、まだまだ浄化されていない無念の想いがたくさん封印されていたと思うよ。それが伐られたお陰で封印が解けちまって、そこいらに放たれてしまったってワケさ。伐られた後、白蛇が二匹切り株にいたって言われてたけど、放たれた情念を戻しきることはできなかったべね。それ以上放たれないようにするので精一杯だったんじゃないかな。白蛇は眷族様だから神様のお遣いだ。「泣く木」が死んだ後を受けて、この土地を守っていたんじゃないかな。
「泣く木」の傍では、交通事故や幽霊を見たっていう話が多い。浄化されていない念が放たれたんだもの、それは当たり前のことだ。伐られる前から幽霊話はあったけど、交通事故なんかは伐られてからの方が多いんじゃないかな。まぁ、ちゃんと調べてないからわからんけどな。
幽霊の話は「黒い大男」だったり「車に乗る女の人」だったりすることが多い。そりゃぁ、乗っけた女が泣く木のところで突然消えたりすれば驚くし、怖いけどな。モノは考えようだ。その女乗っけるために車止めたり、泣く木の近くまで戻ったり、そこで止まったりしたことで怖い思いはしたかも知れんけど、大きな事故から命守られたかも知れんと思ったらありがたい話になるしな。
事故の多いところだから、守ってもらったと考えた方が良くないべか。したら怖い話じゃなくなっちまうけどな。
こうして「泣く木」は月日と共にだんだん朽ちていった。でも、不思議なもんでね、話はなくなってしまうどころか、こうして現在まで語り継がれている。「泣く木」が土地や北海道の歴史にドッカと根を張っていたっちゅう証拠だ。みんなに愛され、恐れられ、受け入れられていた証拠だ。伝説になった「泣く木」はこれからも栗山やその周辺の人達に大切に語り継がれていくだろうし、記憶の中に生き続けていくだろうから、これからも忘れられることはないだろうな、絶対に。
昭和の終わり頃に、泣く木があった場所の近くで育っていたハルニレの木を持ってきて、「泣く木二世」として栗山町の人達が大切に守っている。「泣く木」から種が落ちて育ったらしい。まぁ、どっちが守っているかは知んないけど、初代の「泣く木」は人間達の悲しみや恨み、諦めといった負の情念を取り込んできたから、二代目の「泣く木」は人間達の楽しい、嬉しい情念や想いをいっぱい取り込んで、「嬉し泣きの木」にすることが栗山の人達だけでなくて北海道民、いやいや、この世に生きるすべての者達の使命なんでないべか。