はじめまして!ドッグシッターちゃこ:池田 と申します。(経歴紹介はこちら★シッター紹介)
私自身の老犬介護の実録、そしてシッターをはじめた動機についてお話させてください。
愛犬ルークとの出会いは2002年の春🌸
知り合いが自宅で出産させたダックスフントの子犬を譲ってもらいました。今思えば、自宅で出産させるって凄いことですよね。
愛犬は2020年の秋に息を引き取るまで、私に大きな愛情と試練を与えてくれました。ルークを介護し、看取った時の私は「犬の介護」についてまったくの素人でした。ネットで知識を漁り、まさに五里霧中。
今の私から見れば「もっと良いやり方あるよ…」と言いたい、そんな介護の雑記ですが
今まさに介護中の方や、これから介護をされていく方々へ、共感していただける部分があれば幸いです。
Topic1.介護のはじまり
大変でした。。仕事はもちろん休めない、けど高齢の愛犬のお世話も待ってはくれません。
介護が始まったのは2018年ごろ。ルーク16才。
最初は足のふらつきから
後ろ足でからだを支えられず、座り込んでしまうようになり
だんだんと自立歩行が難しくなっていきました。
滑り止めマットを床に使っていましたが、後ろ脚を引きずるように歩くので皮膚が擦れてしまい傷を作ってしまいました。。。
靴下を履かせるようになります。
ただでさえふらつくのに慣れない靴下で四苦八苦するルークと飼い主。
ルークは、倒れたり座り込んだ姿勢で、「いやだいやだ。歩きたい。」と鼻を鳴らし、体をねじって訴えてきます。
そうしたら、もう覚悟を決めて愛犬の体を支えて部屋を一緒に歩くのです。
これがまた辛い!腰や膝に負担がかかるし、止まると文句を言われます(犬に)
老いというのは絶えず進むので、そのほかにもいろいろなお世話が必要になっていきました。
Topic2.認知症とてんかん発作との戦い
実はルークはてんかん発作持ちでした。11才ごろから発作が起きるようになり、投薬とストレスの少ない生活で発作が起きないように管理する日々。発作は数か月に一度起き、それでも年なりに元気で過ごしていたと思います。ですが、老いが進むと発作の管理が一段と難しくなっていきました。
徐々に、認知症の症状である・昼夜逆転 ・徘徊 ・夜鳴き も始まりトイレまで歩いていけないので、おむつ生活のスタートです。
認知症は急に進むというわけではなく、徐々に昼間ぼんやりとする時間が長くなっていき、だんだんと夜に徘徊するようになっていきました。
しかし、それがてんかん発作を引き起こす要因である「疲労蓄積」となっていき発作が頻発するように。
認知症が進む、発作が起きやすくなる、脳へのダメージによりまた認知症が進む、発作が起きる…という正に負のループ。
暗い言葉を使ってしまいましたが、発作の管理は本当に難しかったです。飲み薬の他に座薬を処方してもらい、気圧の低い日にはドキドキしながら過ごしたものです。
しかし、介護は辛いだけではありませんでした。日々の中で嬉しいことや愛おしいことがちりばめられていました。
Topic3.介護の中での小さなしあわせ
食欲が衰えなかったこと
幸いなことに、体を支えて姿勢をキープできれば最後まで自力でご飯や水を摂ることが出来ました。
毎日通院しての補液をしているシニアさんがいることは知っていたので、自力で飲み込む力って大事なんだな、と実感しました。
ご飯もおやつも、もりもりぺろりと食べてくれる姿は本当に幸せでした。
かまってちゃんになる愛犬もかわいい
夜鳴きはありましたが、歩かせている間は静かなタイプでした。認知症による無駄吠えはあまりなく、「起こして」や「おしっこでた」という不快感を教えてくれる時、不安な時に「だっこしてほしい」と訴えて鳴くタイプでした。、もちろん、しょっちゅう鳴くので対応は大変でしたが。でも、可愛いんです。本当に赤ちゃんのようで。大変だけど、辛いけどいつかこれも終わってしまう。そう思うといくらでも困らせてくれよ!という気持ちになれました。
些細なことがうれしい、楽しい
ご飯を食べてくれることももちろん、日向ぼっこで気持ちよさそうな様子を見れたりカートでお散歩に行ったときふと体を起こして匂いを嗅ごうとする姿が嬉しくて幸せでした。道行く人に「かわいい」と声をかけてもらうことも。
うんちの状態ひとつで一喜一憂なんてこともありました。腕の中ですやすや安心した様子で眠る姿にすべての苦労が報われる気持ちになったものです。
Topic4.介護の1日
平日は、夜7時に帰宅。
自分の食事と風呂を終えたら愛犬の食事のお世話、排泄(寝たきり時はマナーベルトをさせてシートの上に寝かせていた)のかたづけ。上手に食べれず汚れた口周りや排せつで汚れた体を拭き、うとうとしている愛犬を抱えてまったり休憩、10時ごろ就寝・・・
大体夜の0時~2時ごろに目を覚まし、徘徊スタート。愛犬自身も体力は無いので休憩を挟みながらですが、寝てはくれません。。
可愛いお顔でこちらを見つめ、「歩きたい」「おやつ」と気持ちを伝えてきます。。可愛いから許す。。。
午前4時、時には6時ごろまで寝てくれないので、もうその時は心を鬼にして「無視」しかしこれは罪悪感がすごかった。
足をばたつかせて、ひんひんと鳴く犬を赤ちゃんをあやすようにポンポンしながら寝落ち。。。朝8時には出勤です。
休みの日は、午後まで愛犬と一緒に眠り、午後~夜はお世話になるのでおでかけなんて出来ません。
私ひとりでは、到底やりきれなかった愛犬の介護。
家族は助けにもなりましたが、もちろんストレスもたまり喧嘩もしょっちゅうでした。でもやはり、自分以外の人の助けがなければルークの介護だけでなく、私自身が倒れていたと思います。それぐらい、ハードな生活でした。
夜の徘徊の見守りを代わってくれる姉がいてくれたこと、家の家事を担ってくれる母がいたこと。
時折、数時間家を空けて外出できたのも介護の良い息抜きでした。
私一人では、本当に無理だったと思います。もし、1人だったら無理やりにでも頑張るしかなかった。そして共倒れるか
ルークの介護に向き合えず、後悔が残る形になっていたでしょう。
私自身が病気もケガもせず介護をおこなえたこと、すべてラッキーだったと思います。
Topic5.そしてやってくる看取りの時
18歳の誕生日の後に重責発作(発作が短時間に何回も起きること。命の危険性があり緊急性の高い状態)を起こし、そこからほぼ寝たきりの状態になりました。
それでも夜になると徘徊をしたい、と鳴くので私は形だけでもと歩かせてやり、抱いてあやしていました。
食欲はあるし日々の排泄も滞りはありません。それでも体重は減っていき、体に入る力は弱まっていきました。そして、以前は一か月に一回程度だった発作がこのころは小さいものも含めて数日に一回起きるようになっていました。
私たち、家族(この時は父・姉・私の3人になっていました)は、話し合い…というほどかっちりとした場ではありませんが、日々の会話の中でそれとなく「ルークの最期」を決めていきました。それは、家で看取る。というシンプルなものでした。次に重責発作が起きたら、もういよいよ看取りの時。そうわかっていました。
最後を病院で迎えさせない。これは、その時が来ると結構な覚悟がいるものでした。発作の様子を見ていると、やはり病院に駆け込んで「なんとかして!」と叫びたい気持ちが沸き上がりました。しかし、「ルークにとって何が一番幸せなのか」「それは家で、家族の傍にいることじゃないか」という想いが支えてくれました。
それが正しかったのか、はわかりません。看取り方の正解なんてなくて、それぞれの家族の形があるんだと思います。
ルークは約2年間の要介護生活を経て、私たちに優しく愛しい思い出を残し、自宅のいつもの部屋で家族全員に見守られて息を引き取りました。18才5か月、本当にお疲れさまでした。
Topic6.グリーフ(悲嘆)からの脱却も介護だった
喪失の哀しみは愛犬が長生きをして天寿を全うしても変わりません。ひたすら悲しく辛い日々でした。それでも、心が落ち着いてくると「ああ、やりきったな。」「本当に大変だった。」「ルークも、私たちも、本当によく頑張った。」という気持ちが出てくるようになりました。
後悔はもちろんあります。もっとこうしていれば、ああしていれば。
しかし、自分を否定することは愛犬の生を否定することになるような気がして、私は前を向くことが出来ました。
lastTopic.誰のための「介護」なのか
近年は「老犬ホーム」も増えてきています。お金を払えば最期の時まで愛犬を預かりお世話をしてくれる場所です。否定はしません。その場所が必要という人も必ずいます。お世話する方たちも愛情に溢れていると思います。
ですが、私は自宅で自分の手で介護をして看取ってあげてよかった、と思います。うちの愛犬は家が大好きで、家族が大好きでした。どんなに目が見えなくなって動けなくなっても、家や家族の傍が一番リラックスできる場所でした。そうやって私自身が納得できること。じつは介護は、私のための時間だったのでは。とさえ感じています。
最近は、一人暮らしや共働きで犬や猫など動物を飼っている人も増えました。
今から5年後、10年後、あなたはどんな生活をしているのでしょうか。自宅で老齢の愛犬のお世話を出来る生活になっているのでしょうか。
未来は誰にもわかりません。しかし想像することはできますし、その未来に向けて努力することは今からでも出来るでしょう。
今は介護が必要のない方も、ぜひ一度愛犬の介護と看取りを考えてみてください。
介護のかたちも様々ですし、「介護も出来ずに逝ってしまった」という事もあります。
それぞれの家族のかたちを見つけて、それぞれが納得できるかたちを見つけて、介護や看取りを辛いだけのものにしない。
愛犬とお互いが、最後に「お疲れ様!やりきったね!」と労わりあえるように。介護とは、愛犬がくれる最後の素敵な時のプレゼントかもしれません。
「最後までお世話をする」という当たり前は、とても大変で、とても素敵なこと。当たり前は、簡単ではないのです。
そして、終生飼育を終え、また「犬と暮らしたい!」と思えたら。愛犬との時が次の出会いを繋げてくれるのかもしれません。