奥の細道~象潟~
松島は笑ふが如く 象潟はうらむがごとし
と記された象潟は
その昔、文人墨客たちのあこがれの地でした
「うらむ」は恨むではなく
憂いに沈む美人の風情だという表現です
松尾芭蕉は文人たちの詠んだ倭歌に
思いを馳せ
敬愛する西行の500年忌の年に
奥の細道に旅立っています
今でも大変ですのに
当時はどれ程の苦労をして訪れたのでしょう
大きな潟の中にあまたの島が点在する
不思議な景観が広がっていました
八十八潟・九十九島と呼ばれ
それ以上の数の島が
存在していたのです
海ではなく、潟だったのです
潟湖(せきこ)の中
松が飾る島々を
文人たちは舟で巡り
その景色を楽しんだのです
潟湖に浮かぶ九十九島
朱塗りの橋に蚶満寺
仰ぎみれば
鳥海山が悠然と佇み
水面にはその姿が映りこむ
振り返れば荒々しい日本海
今では田植えの季節に往時を偲ぶばかりです
けれども
和歌や俳句に魅せられた方が
なんと多いことか!!
日本のみならず
海外からもいらっしゃいます
そんな方々との交流が
とてもとても大切な宝ものなのです
(※写真はにかほ市観光協会よりご提供いただきました)
紀元前466年のこと
鳥海山の山頂が山体崩壊したのです
巨大崩壊は山裾を駆け抜け
更には日本海を埋め立てます
まさに天災です
「象潟岩屑(がんせつ)なだれ」といわれ
数多の「流れ山」といわれる島々が出現します
これが「九十九島」です
やがて砂州(さす)が伸びて
海が大きな潟湖(せきこ)になったのです
島々が浮かぶ潟湖は珍しいものでした
東西1㎞南北2㎞です
写真は全容ではありませんが
その規模がイメージいただけるかと思います
今の海岸線が砂州になります
島々が散らばる水田が潟湖でした
潟湖は浅くて
波が穏やかです
元が海なので汐の匂い
塩の味も残っていたのです
(汽水といいます)
想像してみてください
なんとも不思議な景色だったと思いませんか
遠路はるばる訪れた文人墨客たちが
なんと多いことか
それほどまでに
心動かされる風情だったのだろうと思うのです
そして1804年象潟地震により隆起し
潟湖は陸地となりました
自然の営みに畏敬の念を抱きますね
1934年1月22日に
象潟町は国の天然記念物に指定されました
能因島という島があります
能因法師が3年も幽居された島だとか
日本最初の流浪の歌人で
松尾芭蕉もその跡を訪ねたとされています
~能因法師の句です~
きさがたの 桜は波にうづもれて はなの上こぐ あまのつり舟
世の中は かくてもへけり きさがたの あまの苫やを わが宿にして
あめ(雨)にます とよおか姫にこととわむ いくよになりぬ きさかたの神
(写真は松尾芭蕉の句碑の一つです)
年代順に句と事象を挙げてみますね
853年慈覚大師が皇后山干満珠寺を開創
(現蚶満寺)
きさかたは雅びな平安時代から詠われておりました
きさかたや なぎさにたちてみわたせば つらくとおもふ こころやはやく(源重之)
きさがたの 桜は波にうづもれて はなの上こぐ あまのつり舟(能因法師)
世の中は かくてもへけり きさがたの あまの苫やを わが宿にして(能因法師)
あめ(天)にます とよおか姫にこととわむ いくよになりぬ きさかたの神(能因法師)
きさかたや あまのとやのもしおくさ うらむることのたへずもあるなり(大江匡房)
さすらふる われにしあればきさかたの あまのとやに あまたたびねぬ(藤原顕仲)
きさかたや しばのとぼそのあけがたに こゑうらぶれて ちどりなくなり(源仲正)
このさとも さこそみゆらめきさがたや あまのとやもかすみこめつつ(俊恵)
まつしまや おじまのいそもなにならず ただきさがたの あきのよのつき(西行)
きさがたの さくらはなみにうづもれて はなのうえこぐ あまのつりふね(西行)
きさかたや あまのとまやにさぬるよは うらかぜさむみ かりなきわたる(藤原隆季)
うちはらふ ころもでさえぬ きさがたや しらつきやまの ゆきのあけぼの(恵円法師)
うらかぜも しおたれにけり きさかたの くものとまふく さみだれのころ(素覚法師家基)
きさかたや いもこいしらにさぬる夜の いそのねざめに つきかたぶきぬ(顕昭)
きさかたや いそやにつもるゆきみれば なみのしたにぞ あまはすみける(守覚法親王)
まつしまや おじましほかまみつつきて ここにあわれを きさかたのうら(親鸞)
おしまれぬ いのちもいまはおしきかな またきさかたをみんとおもへば(北条時頼)
おしからぬ いのちもいまはおしきかな おもいとどめし まつのみどりに(北条時頼)
いのちあらば またもきてみん きさかたの こころとどめし まつのみどりに(北条時頼)
きさかたの しおひのいそにたびねして そでにぞつきをやどしぬるかな(北条時頼)
詠むれば いとどあわれぞまさりゆく おもひいりえのあまのつりふね(北条時頼)
きさかたと おもひしほどにいそかれて かへるなみまたに そではぬれける(西明寺時頼)
きさがたの あまのとまやにやどとへば 夕浪あれて浦風ぞ吹く(宗尊親王覚恵)
あめにます とよおかひめにこととわん いくよになりぬきさかたの神(民部卿為家卿)
いつかとは 思ひをとめて象潟の あまのとまやに秋風ぞ吹く(遊行寺他阿上人)
さ夜衣 さながら浪をきさかたや いそのね覚ぞ都にもにぬ(正徹)
限なき 秋の思ひもきさかたや 月の浜風ふけぬこの夜は(正広)
きさかたや あまのとまやの秋をへて 月のしらなみあらずとはなし(三条西藤原実隆)
きさかたのいはさの浪は早けれどこころの月はかげもすみつつ(沢庵禅師)
経音ン荻に有をのれ角折ル磯栄螺(池西言水)
月ハ蚶潟や下戸ハ見のがす芦間蟹(池西言水)
1683年 大淀三千風が訪れました
西行ざくら木陰の闇に笠捨たり(大淀三千風)
毛を替ね雪の羽をのす鳥の海(大淀三千風)
波の梢実のるや蚶が家ざくら(大淀三千風)
1689年松尾芭蕉が訪れました
象潟や 雨に西施が ねぶの花(松尾芭蕉)
魅入られる景色の象潟よ
まるで西施が雨にけぶり
俯いて憂いに沈むかのように
薄紅のねむの花が
はかなげに咲いている
汐越や鶴はぎぬれて海涼し(松尾芭蕉)
夕晴れや桜に涼む浪の華(松尾芭蕉)
蜑の家や戸板を敷きて夕涼み(低耳)
象潟や料理何食う神祭(曾良)
波こえぬ契ありてやみさごの巣(曾良)
1696年 天野桃隣が訪れました
きさかたや唐をうしろに夏搆(天野桃隣)
能因に踏まれし石か苺の花(天野桃隣)
暑き日は鳥海山の雪見哉(天野桃隣)
誰籠る能因嶋に夏百日(天野桃隣)
きさかたの岸辺に咲る卯花の雪を洗ひて帰る波かな(大淀三千風)
下闇にねいる西行さくらかな(大淀三千風)
きさがたの涙もろさよ花の雨(建部綾足)
けふ迄と蚶吹寄せて波のおと(建部綾足)
1773年 加舎白雄が訪れました
高浪や象潟は虫の藻にすだく(加舎白雄)
象潟や墨絵の中に花一木(蓑笠庵梨一)
1784年 菅江真澄が訪れました
あま衣錦にかえてきさかたの島山あらしさそうもみじ葉(菅江真澄)
旅衣ぬれてはここにきさかたの海士の苫屋に笠やどりせん(菅江真澄)
象潟のあわれしれとや夕まぐれこぎつれ帰る海士のつり舟(菅江真澄)
年経ども思ひしままに象潟のあわれをしむる夕暮れの空(菅江真澄)
旅衣わけこしここに象潟のうらめずらしき夕暮れの空(菅江真澄)
浪遠くうかれてここに象潟やかつ袖ぬらす夕ぐれの空(菅江真澄)
きさかたや今はみるめのかひもなしむかしながらの姿ならねば(古川古松軒)
いとまなみ潮越す浦の蜑人はかはく袂をぬるゝといふらん(古川古松軒)
1789年 小林一茶は象潟を訪れました
象潟や嶌がくれ行く刈り穂船(小林一茶)
象潟もけふは恨まず花の春(小林一茶)
象潟や桜を浴てなく蛙(小林一茶)
象潟や浪の上行く虫の声(小林一茶)
象潟や能因どのの夏の月(小林一茶)
象潟や森の流るゝ朝かすみ(吉川五朗)
象潟や浪は新樹の簿萌黄(青々処卓池)
1804年 象潟大地震で潟が隆起したのです
常世田長翠は加舎白雄の句碑を蚶満寺に建立後、地震に遭いますが難を逃れます
拾ひたる命なるべし今日の月(常世田長翠)
夕くれは泣くに不足はなかりけり(松窓乙二)
瓢たんで鱠(なます)押へるさたもなし(蕉雨)
終の栖は出羽の象潟(小林一茶)
象かたやそでない松も秋の暮(小林一茶)
象がたや能因どのゝ夏の月(小林一茶)
鳥海山は海を埋め干満寺は地底に入る(小林一茶)
象潟の欠けを掴んで鳴く千鳥(小林一茶)
蝉なくや象潟こんどつぶれしと(小林一茶)
後の世にきさかた人と生れきて我が思うまま島めぐりせん(落合直文)
はるばるとたづねきしきさかたせめてもに浪の花でも散らせ桜木(落合直文)
1893年 正岡子規は象潟を訪れました
秋高ふ入海晴れて鶴一羽(正岡子規)
鳥海にかたまる雲や秋日和(正岡子規)
象潟や秋はるばると帆掛船(正岡子規)
象潟の海にかわりて秋の風(正岡子規)
見れば見るほど象潟の夏寒し(春秋庵幹雄)
象潟はうもれて蝉の声暑し(石井露月)
かなしみは鳥海山の春の雪きみの笑へばはた消えにつゝ(竹久夢二)
悌や十粒の雨にねぶの花(安藤和風)
1934年1月22日に
象潟町は国の天然記念物に指定されました
1947年 斎藤茂吉は象潟を訪れました
秋の光しづかに差せる通り来て店に無花果の実を食む(斎藤茂吉)
象潟の蚶満禅寺も一たびは燃えぬと聞きてものをこそ思へ(斎藤茂吉)
秋すでに深まむとする象潟に来てさにづらふ少女を見たり(斎藤茂吉)
象潟の海のなぎさに人稀にそそぐ川ひとつ古き世よりの川(斎藤茂吉)
あかあかと鳥海山の火を吹きし亨和元年われはおもほゆ(斎藤茂吉)
鳥海の北のなだれは荒々し芭蕉も見けむこのありさまを(斎藤茂吉)
夕つ日に薄く赤らみ鳥海山を今よぎりゆく雲の大いさ(森本治吉)
八重桜はなの散る日に来りけり古きみ寺の春を惜しむと(松村英一)
渡烏鳥海の裾海に沈む(福田蓼汀)
象潟や涼しき潮に千松嶋(松根東洋城)
合歡花淋し翁と別れ古の越(松根東洋城)
俳緑厚く三代の住持蚊遣次ぐ(和三幹竹)
象潟やさま変りたる田植唄(山口青邨)
象潟や時雨の雲の海鴫りす(角川源義)
万緑の一樹ねむの花末だ(秋元不死男)
涼しさや潟の名残の藻のなびき(大野林火)
1965年 山口誓子は象潟を訪れました
雪雲に雪嶺鳥海鬱々と(山口誓子)
象潟よ水田となりて島となれ(山口誓子)
雪しづか愁なしとはいへざるも(中村汀女)
雲白くして合歓の花ねむかりき(加藤楸邨)
象潟やけぶればかをる合歓の花(加藤知世子)
六月の海に入日の象潟よ(後藤輝子)
象潟や合歓の終りを通り雨(長谷川せつ子)
1996年 象潟は日本の渚百選に選定されました
もっと多くの文人がいらして
もっと多くの和歌や句が詠まれているのです
とても調べきれません
間違いなどありましたら
お教えくださると幸いです