龍泉寺縁起
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愛宕大権現・天弓愛染明王 |
愛宕権現堂 |
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当山は往昔、北畠家の治所として豊臣秀吉より蒲生氏郷公(安土桃山時代・伊勢松阪城主)に与えられた寺院として歴史、由来のある寺院です。 当山古記によると、開創は聖武天皇(在位724-49)が行基に勅し、一志郡中郷村滝野川に一宇を建てたのが始まりと伝えています。その後、七堂伽藍建立し「滝川寺」称しました。 「滝野川寺」は伽藍の総寺号として、多気の国司・北畠家の信仰熱く寺領の寄進もあり、塔頭・堂・坊舎が数多く祈願寺となりました。龍泉寺・上福院の下の防「上福院」は当寺の旧号です。 当時は「伊勢の愛宕」と称され信徒、参拝に絶えない寺院でした。しかし、永禄(1558-69)各地で戦が起こり、修羅の烽火は滝川寺にも及び影響を受けました。そのため、永禄十一年(1568年)本尊ならびに氏神を守護し奉り、下の防・上福院を松ヶ島平尾村に移し「瀧泉寺」と成りました。 天正九年春、嵯峨御所大覚寺の宮より御令旨を賜り、北尾大藪潮田長助殿、壇越となり松ヶ島より愛宕大権現を松阪へ移し祀りました。また、同年正親町天皇の御綸旨を下し勅願所となり「愛宕山 上福院 龍泉寺」と称する事になりました。 松ヶ島城が松阪城に移り替えの際、時の住職良宗上人が四朗衛門という武士を伴い、現在の地に移建しました。 以来、松阪城主蒲生氏郷をはじめ代々城主の信仰熱く、特に三代目古田重勝は深く信仰を寄せられた。その重勝公の塚が境内地にあり、現在も毎年6月16日には重勝公を偲び「展墓祭」が営まれる。愛宕大権現本殿(本堂)は明治初年までは愛宕社であったが、神仏分離の際、神殿を仏殿本堂として本尊を祀る。 |
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当山、境内入口にある「山門」は市内最古の木造建築物で県指定文化財です。山門は松ヶ島城裏門であったのを天正十六(1588)蒲生氏郷が寄進したものと伝えられています。 |
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▶2012年7月山門の修復を致しました。 |
瀧川稲荷大明神 実にこれ松阪に最初に出来た「稲荷明神」です。 時の住職良宗上人が眺望の良い丘に上がり桑の古木の下で休んでいると二匹の霊狐が現れ、上人を崇敬する姿を見せながら「絵絹一幅」を残し立ち去りました。上人は即座にそれを見ると「飯綱権現」の画像でした。上人は、この地に「瀧川稲荷の本社」を移し出現の神像を合祀して「正一位瀧川稲荷五社大明神」と称し、地主の神と崇め祀りました。 |