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2016/09/07

山田湧水~七つ石山~経塚山

・日 時 : 2016年8月30日()

  700分 日出町の山田湧水のすぐ隣にある登山口の駐車場に到着。我々以外の登山者はほとんどいなく、周りは湧水を汲みに来ている人だらけである。山田湧水の水は大変美味しく、炊飯用や珈琲用に使用する人が多いとのこと。今朝も大勢の人が我先にと、空の大型容器を何個も持参して5つの蛇口に置き給水している。

この登山口には「ザビエルが通った道」という立て看板が設置してある。登山口で一礼をして、登り始めた。緩やかな登りである。10分も歩くと、石が敷き詰められた道に変わった。ごつごつとしてなんとなく歩きづらい。

この辺りは昔、日出城(暘谷城)の石垣を築造するために石を切り出した場所だとのこと。さらに、5分ほど登ると、右手に看板が立っている。一目城(ひとめじょう)と書いてある。城跡かと思ったら、そうではなく、ここから日出の城が一目見えたことから「一目城」と名付けられたらしい。よく理解できなかった。

ここを過ぎたところからは登山道が見えないほどのブッシュで、草木を掻き分けてさらに、蜘蛛の巣を払いながら緩やかな登りである。折角のザビエルが通った道なのに、登山道の整備がされてないのは、残念であり、がっかりである。


さらに、20分ほど登ると、一瞬眺望が良くなった。別府湾から大分方面が広く見渡せる場所があり、「西鹿鳴越道(にしかなごえどう)からの眺望」というタイトルの看板が設置してある。看板の記述を読むとフランシスコ・ザビエルは山口から険しい山道を経て、大友宗麟の待つ豊後府内に向かう際にここを通り、日出の港に来航したポルトガル船に乗り府内へと向かったことが分かる。ここで少し休憩した。

このあたりから石の道が終わり、眺望もなくなり淡々と緩やかな登りを歩いてゆく。出発から約50分 で、直進:「経塚山」、右:「七つ石山」の標識がある分岐まで来た。ここからは右折方向の「七つ石山」に向かった。今までと違って、登り  勾配が少しだけきつくなった。少し登ると左手の眺望が良くなった。後ろに経塚山の山頂付近がはっきりと見えた。数年前に檜を切り出したらしく、切断された檜の根っこが彼方此方に点在している。

再び、草木を掻き分けてさらに15分ほど登ると「七 つ石山」の山頂に到着した。山頂は5,6人で一杯になる程の狭いところである。海の眺望は良いが草木が生茂り休憩のために座る場所もない。七つ石山というからには石があると思ったが、山頂中央付近に1個あるだけだった。草木で見えなかったのかも?出来れば、山頂をもっと大分の霊山のように整備して戴きたいと思った。

休憩場所もないので、すぐに先程の分岐の場所に下り、今度は経塚山に向かった。ブッシュを掻き分け下り、暫くすると車が1台通れるほどの山道に出た。「左:経塚山」と記載した看板が立っている。その中央が盛り上がった轍の

ある道を少し歩くと舗装道路に出た。県道が市道であろう。4月の地震で道路にクラッ クが入ったらしく、一部が片側交互通行になっていた。この道を左に5~6分登って行くと、左手に経塚山登山口の看板があり、ここから更に舗装道路を登った。10分近く登ると右に門扉があり、山頂へはここから登っていくらしいが門扉の前には駐車禁止と書いた赤いカラーコーンが置いてあった。この奥に設置してある鉄塔の維持管理のための門扉であろう。鍵が掛かっている。

 門扉の柱の横を何とか通り抜けることが出来た。すぐに、「経塚山山頂」への右矢印看板が立つ場所へ到着し、ここを右折した、ここでやっと登山道らしい道に出た。登り易い緩やかな道である。数分で山頂へ到着した。

この山頂は広く、素晴しい眺望である。目の前に別府の扇山、鶴見岳、由布岳が大きく見える。晴天であり、360度見渡せる。近くの日出の山は勿論のこと、北は中津の山々、英彦山も見える。さらに驚いたことに、山頂の中央付近にはコンパスの磁石の針を狂わせる石があり、この石の上にコンパスを置いたら、置く場所により本来北を示す針が色々な方向を指し、大変不思議であった。恐らく、磁力を含有した石、隕石ではないだろうか・・・・・・・。(石の傍らにはコンパスの針が北を指さない石という説明を書いた小さなラミネートされた用紙が無造作にぶら下がっていた)

暫く、素晴しい景色を眺めた後、登ってきた道を山田湧水まで下りた。山田湧水到着は1030分頃であった。

 

管理人  以前は、楽しく縦走できたのですが。最近、道が荒れているのでしょうか。