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雲州幸光刃物について

かつては奥出雲で採取される砂鉄を原料に作られた玉鋼を原料に作られたのを由来とし、

現在では高品質な鋼として世界的に有名な安来鋼を使用し、

代々受け継がれた鍛錬技法で一本一本手作りされた手打ち包丁です。

洋鋼や洋鉄に比べ、するどい切れ味が長く持続し、粘りがあり刃こぼれし難いのが特色です。

 

<昭和62年11月30日島根ふるさと伝統工芸品指定>

 

 

【商品の主な取扱店】


   島根県物産観光館   ・にほんばし島根館   ・奥出雲たたらと刀剣館

 

 

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楠 亀代徳 (楠家 第五代) 撮影:鈴木心

 

 

【雲州幸光刃物の歴史】

 

 

~郷土に密着したたたら製鉄の背景~

 

古くから島根県奥出雲町は、古来有数のたたら製鉄の本拠地として知られています。

文献によると、天平5年(733)に成立した出雲国風土記において、「仁多郡三処郷、布施郷、三沢郷、横田郷以上の緒の郷より出づる鉄は堅くて尤(もっと)も雑の具を造るに堪(た)ふ」とあります。

弥生時代後期から始まった出雲地方の製鉄の技術は、およそ6世紀頃から発達を初め、江戸時代に最盛期を迎えました。

享保11年(1726)年、松江藩は「鉄方御方式」を定め、絲原、田部、桜井など9氏に限ってたたら製鉄を許可、保護・管理を任せます。

やがて徐々に生産量が増え、幕末には年間2万トンで全国の半数以上を占めるまでになりました。

 

~雲州幸光刃物の誕生~

 

天保5(1834)年、楠勝造が、先の9氏の一つト蔵(ぼくら)氏の下で大鍛冶屋(注1)として活躍。

二代目、菊太郎になり、明治35(1902)年、大鍛冶屋から小鍛冶屋(注2)に転じる。

三代目、幸市は玉鋼と和鉄を鍛えた農具刃物や包丁を手がけるようになり、「幸光」と号す。

四代目、幸雄氏になり、昭和30(1955)年14歳で父に師事し、中国地方管内の営林署に林業用刃物を納めるようになった頃から、奥出雲町大呂にある自身の本拠地を楠鍛錬工場と命名。

代々受け継がれた伝統の技を大阪・堺に修行に出て更に技術を向上。

五代目、亀代徳氏は高校を卒業後、父 幸雄氏の元で研磨を重ね、

現在引き継いで更なる研究・生産に挑戦中。

 

 

*注1)大鍛冶屋

      ズク(銑鉄)を炭素調整しながら、長さ三尺(約90センチ)、重さ十貫(約38キロ)の板状の割鉄(包丁鉄)にすること

 

*注2)小鍛冶屋

      大鍛冶屋にて製作された割鉄を使って包丁などの製品に加工すること

 

 

 

 

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