相伝道場 柳正館
当道場は故星國雄宗家(柳生拳心斎)の伝えた柳生心眼流兵法を修行する道場です。
柳生心眼流兵法の流祖は竹永隼人で神道流、神影流、首座流、戸田流を修業し、柳生新陰流兵法の柳生宗矩に師事して蘊奥に至り、柳生心眼流兵法として伝えました。
初代は各地で兵法を教え、晩年に宮城県桃生に隠棲し、死後は霊神として祀られています。桃生には流祖を仰ぐ諸流の師範が連名で建てた「師弟合祀碑」が残っています。
二代は阿州出身の吉川市郎右衛門、三代は仙台藩の伊藤久三郎、四代は仙台藩の小山左門と伝えられました。小山左門は江戸でも当流を指導したことから、当流は関東から、北陸、関西、中国地方へと広がっていきます。
五代は京都出身の相澤東軒。幕末からは星家の師範が活躍し、宮城県から岩手県にかけて、桃生伝、南部藩伝などの流系の師範も含めて多くの柳生心眼流やその兄弟流派が稽古されていました。
このように柳生心眼流は歴史的に多くの流れが存在します。流祖も弟子の適性や好みに応じて武道を指南したようで、流祖が亡くなった後に二代(吉川市郎右衛門)が諸先輩のところを訪ねて教示を願ったところ「箇条名も流名も異なっていたが身の動き(所作)だけは全く同じだった」(大意)と書かれています。この動きを「心眼」とも「身のかわし」とも呼んでいます。
私たちの流れは吉川市郎右衛門の流れであり、この流れにおいては柔術の形である表、中極、落の二十一箇条にすべての身のかわしを含み、400年変わることなく伝えるものです。武器術も含まれ、伝授以降の形も二十一箇条の意味を説明するための形になっています。この体系は一貫しており、歴代師範が「加えることはできても変えることは出来なかった」と伝えられています。
先師故星国雄宗家は29歳で相伝を受け、多くの弟子を育てました。酒井直は昭和63年に入門し、平成18年7月に相伝の指名を受けました。正国は故星国雄宗家から拝受した武名です。平成22年より故郷の埼玉県さいたま市で活動しています。先例に倣い平成27年1月に相伝者の名乗りを、3月に「柳正館」を創設しました。特に18年間の膨大な師伝を整理し心法の部分を「拳心斎先生口術聞書 上、中、下」の3巻にまとめ、口伝の正しい相承に努めています。伝統文化ははじめから自由な発想で学ぶというよりは、まずはその道をよく心得ている人の指導に従って上達していくことが大切です。そのようにしているといつしか自分でその内容を理解して問題点も利点もわかって行動できるようになります。そこまでしてその道を会得したということになります。そうなれば古い伝統と今と現代において同時に混在して生きていることもわかりますし、自分ならこうするということもわかってきます。流祖も先師もそして私たちも共に求める大切なものがあるということです。当館は柳生家や流祖から流れる武道の心と技を正しく生きた形で伝えていきたいと願っています。柳正館の「柳」は活人剣の心、「正」は二十一箇条の正しい形を意味しています。この形を墨守して戦国の生きる心、活かす心を伝えるよう活動しています。
師弟合祀碑
師弟合祀碑の碑文(拓本)「霊神」の文字が見える