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柳生心眼流兵法とは

 

     柳生心眼流兵法は柳生新陰流の分流です。流祖は仙台に生まれ、諸流を修業したのち柳生宗矩公について蘊奥を究め、「柳生心眼流兵法」を名乗るよう許されました。 この伝統は東北の宮城、岩手から関東、そして北陸、関西、中国地方、北海道まで広がっていきました。  多くの人々がこの兵法によって自己を鍛練して生きる道としました。 なかでも星家歴代師範の功績は大きく、明治維新、終戦後の武道の危機においても戦国時代の武道を守り伝えました。  

兵法

 兵法とはあらゆる武器をつかう術であり、生きる方法を意味しています。戦いにおいて武器の使い方がわからなければ生き残ることはできません。心のつかい方、体のつかい方もまたしかりです。自己と方法と対象。ともに生きるためにどう考えどう動くか。戦国の兵器が使われなくなった今日でも兵法とは生き方、生きる道であり古人の心胆と相照らして変わるものはありません。

心眼

 流祖が諸流を修業し、柳生宗矩公から伝えられた法をもって確立した身の動きを心眼と呼びます。この動きは初めに学ぶ表、中極、落の基本二十一箇条中に尽くされていることから、「柳生心眼流は二十一箇条に始まり二十一箇条に終わる」とも伝えられています。この動きを自己のものとして、自在に諸道具をつかい、身を護ることを稽古鍛錬の要点としています。

柳生

 武道の心法で最も大切なのは生きる心、活かす心です。どの人にとっても自分の仕事ができ、家族や友人とともに暮らせ、この何気ない日常を笑顔とともに生きていくことが最も尊いものです。危機に際しての生きる心、平常での活かす心はどちらも「無心」から発せられるものです。思わずして動くときに人は生きる方向に動かされていきます。この心がなければどのような稽古鍛練もよい結果を得ることがありません。流祖が柳生家から伝えられた「活人剣」の教えは武道の根幹ともいうべきものです。

 これらが流名に込められた先師方の口伝であり私たちの流れの大原則です。言葉で表面的に理解しても実際に稽古し体験していかなければその深い意味や味わいを知ることができません。ここに正しい師と信頼する同門が大切である理由があります。