芝山町商工会

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芝山公園イルミネーション2022

(昨年2021年に引き続き芝山公園イルミネーションが開催されます。

 

 

芝山はにわ祭

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毎年恒例、ご好評を頂いております「芝山はにわ祭」に商工会も「商工まつり」を主催して参加しております。

 

日本は数万年にわたって日本列島の恵まれた自然の中で世界にも類をみない自然との密接な関わりを持つ文化を築きあげてきた。我々の住む芝山は、その大きな流れの中でどのような道をたどってきたのであろう。
今、ここに芝山の地図を拡げてみよう。

芝山は波荒い九十九里浜にそそぐ東山川の支流高谷川といま一つ木戸川の二つの川に挟まれた台地とその両側にひろがる集落の集合であることがわかる。この二つの川は、どちらもその源を成田市としているが、概ね芝山の台地に樹枝状に入り込む谷津田の奥に湧く清水がその源流となっている。

芝山の古代は、埴輪を中心とする古墳文化を頂点とするようにみられているが、この川の流域には、それ以前の石器時代、繩文時代の遺跡も多数散在していることは、その出土品により明らかである。なかでも、菱田平通寺遺跡から出土した弥生時代の大形壷は、ほぼ完形で赤色に塗られ、技術の高さをみせた素晴らしいものである。いかにこの川の流域が早くから住みよい環境にあったか、また古代文化が栄えていたかの一つの証拠である。
古墳時代になると、いくつかの古墳群に分かれるが、そのなかの一つが埴輪の葬列で知られた殿塚姫塚を含む古墳群である。

大化の改新以後、中世への時代は、山田金光寺。芝山観音教寺のような祈願寺が中央政権につながる者達によって建立されていることから、中央文化はその後人きな流れとなって入ってきていたことが知れる。それは東北拓殖の基地という軍事的な文化でもあったし、またその後の武士団発生の誘因ともなったのである。蝦夷との戦いと開拓には巨大な課役がこの辺りの農民に大きな負担となったであろう。戦いによる戦死者も多数出たことも予想されるので、死後に対する信仰もひろがってきたと思える。 やがて土豪の勃興によって共同体に差別が生じ、集落が再構成されてくる。弱肉強食の世は防御のために城郭を築くことになる。町内各地に板碑が供養のため建てられたのはこの頃である。

室町時代。町内には小さな城や砦が10数個所築かれている。それ等の城主は、本来地元の豪族であったが、いつか他国者の山室氏、井田氏の所領とされ、その旗下に入っている。

わずかに山中の和田氏のみが父祖伝来の地を豊臣の関東制圧まで保つことができたのである。お人好しというか、恵まれたこの地方の性格は、すでにこの頃から見られるような気がする。彼等は皆、城内や領内に社寺を建てているが、その一つが新井田称名寺にある阿弥陀如来像である。またこれより以前、廷慶二年には境郷の手取入道という者が金銅の阿弥陀仏を造像し、観音教寺には嘉吉二年に千葉胤直、胤賢により宝塔が寄進されている。 当時、この地方の人々の信仰心がいかに厚かったかを窺わせるものであるし、文化をささえる豊かさを持ち得た訳である。

江戸時代の芝山は、旗本知行地と幕府直轄領となり、庶民はただ働いて搾取されるだけの生活が続くが、いまに残る習俗慣習の中には、自然や神仏に頼って生きる古くからの農耕民族の姿がみられる。それは路傍の石仏であり、山岳宗教の名残りの講中である。また佐倉牧の野付村としての仕事。鷹狩、鹿狩等幕府の遊びのために狩り出される姿もあった。

その中にあって、江戸文化の爛熟期には俳諧が盛行し、村々で句会が催されて、なかには鈴木天堂、随巣明人のような著名人がいたことを忘れてはなるまい。白枡粉屋のおいとこ節が歌われたのもこの頃でである。また、私塾や寺小屋による教育が、殆どの村で行われていたことが筆子塔という石碑によって知ることもできる。大原幽学の性理学を学ぶ者も相当いたのである。 明治になると、池田栄売、木内重四郎、桜井静のような政治家も出てきている。

このように、歴史的にみた芝山の文化は、信仰にささえられながら、恵まれた土地を耕してきた農民生活を基底とした文化だということになるであろう。

それでは現在の芝山の文化とはなんであろうか。歴史が得た真正な農業文化はどこにあるだろうか。誰もが自分の土地を持ち、機械化された農業は共同でやることをいつか忘れ、農業社会本来の姿が失われつつある。

みんなが声を掛け合い、手を取りあい、苦い時は神仏に祈りながらやってきた農業文化をいま一度みなおすべきである。そんな意味で、去年から始まった「はにわ祭」は、大きな意味があるということができる

 

この芝山町に人々が生活し始めたのは1万年以上も前に遡ります。特に古墳時代後期と言われる5世紀中頃から7世紀の初頭にかけて、見事な文化の華を咲かせたことは、出土するはにわや遣物から見て、明らかです。
古代はまさしく大自然と闘い、共有していた時代です。厳しく、優しい自然の中で、人々は力を合わせ、肩を寄せあいながら暮らしていたのではないでしょうか。自然は人々に豊かな心を与え、人々は自然を愛し、絶えず暖かい心を通わせて暮らしていた時代。「はにわ」は、そんな時代の人々そのものなのかもしれません。「はにわ祭」は、そのような「はにわ」が語りかけるものをまっすぐに受けとめる祭です。人間本来の心を取り戻すこと-それは、物や金を人生の全てとすることなく、心豊かに暮らすことにほかなりません。
古代の衣装を身にまとい、心身を清め、わだかまりを捨て、現代に現れた古代の神々として登場する人々を、感謝と尊敬の気持ちで迎える「はにわ祭」。町をあげ、心を合わせてこの祭りを行うことで、私たちは忘れられつつある「ふれあい」の気持ちを再認識できるはずです。一つの生活共同体とも言えるこの町を、そして暮らしている人々を、お互いにもっと大切にしていきたいと思います。それが「はにわ祭」なのです。

農業・文化祭「はにわ祭」

我が芝山町に人々が生活し始めたのは、一万年以上も前に遡るが、特に古墳時代後期後半と言われる五世紀中頃から7世紀の初頭にかけて見事な文化の華を咲かせた事は、出土する遺物や遺構から推して明らかである。まして出土する「はにわ」の美しさに至っては形容すべき言葉を知らない。子孫である我々は祖先が遣したこれらの貴重な文化財から、一体何を学び何を吸収して明日への糧となすべきなのであろうか。
古代人に比して我々は文明の所産をあり余るほど持っている。にも拘わらず現代人ははにわの美しさに魅かれ、それがかもし出すおおらかな雰囲気に心のなごみを覚える。この事は、人間にとって、物や金が人生の全てではあり得ない事を、たくまずして教えている様にも思われる。つまり古代人は物質的には貧しかったが、心は我々よりはるかに豊がであり、血の通った温かい生活を営んでいたのではないかと言う反省である。
古代人にとって大自然の厳しさは、我々の想像の域をはるかに超えたものであろうが、それ故にこそ、生活共同体としての村の存在は重要であったに違いない。
町をあげて祭りの行事を行う事によって、忘れられつつある町の機能を再認識してみたい。今一番問題となっている個人と全体の調和をさぐる糸口がここらにあるのではないかと言ったら笑われるだろうか。我々は、出来得るならぱこれを契機に更に進んで人間にとって「農」とは何かに思いをめぐらしてみたい。大地に根ざす農こそが、村々を育てささえた根本だからである。そして、このささやかな祭りが、我々が生存する地球の存在について、もう一度改めて考えてみる機会を生む一助になり得るなら、正に望外の幸せである。

 国造の御託宣

人心荒ぶる今の世に我等が子孫たる芝山町を中心とする地域住民一同。
此のたぴ芝山はにわ祭を開催庭前に祭場を設け供物等を供へ地域を代表する各位この塚に眠る我等を起しその教を聞かんと欲す善き哉善き哉その事やすし正に今百の同朋を随へて出現し我等が子孫の需めに応へん。
今の世を去ること遥かなる昔我等総の北の台地たるこの地に生活を営み始めしはこの地荘茫漠たる荒野なれども気候極めて温暖にして人々の生存に適し海の幸山の幸豊かにして人心穏かなり日の本の大和の心を継しむるはこの地にしかずと思うなればなり。
吾が同朋心を尽くし力を合せて国起しを行ふ即ち荒野を焼いて畑地を起し清水を堰止めて池となり溝を穿ちて水田を拓くかくて麦の秋も稲の秋もこの里に黄金波寄ずるに至れり真木柱底ッ岩根に太敷立て依拠となし国の基ここに礎まる御子の御子我等のいとなみのまにまにこのうましき郷土を護り伝う。
しかるに今人科学技術に眼を奪われて太陽と大地の広大な恩恵を忘れ物質文明の繁栄に酔しれて自から人間の霊性を捨て去らんとす人間喪失の危機ここに極まると言うべし人々今にして自己の尊厳に気付くと共に生きとし生けるものを永遠にささえへる千歳の法則を畏み大自然の恵みに感謝するの念を起さざれば自縄自縛遂に自がら作りしものに人間存在の基底を奪わるべし。
思うに今正に平成の国起しの時希くぱ我等が子孫人間の本然に立ち帰り我等を自から命と呼ぴ同朋を神とあがめし平らけく安らけき心もて事に当れ澄み切れる大気の中緑濃き野山の内より涼々と清水湧き出であつまりて川となり大海にそそぐこのうましき里をおろがみ子孫に伝へよ。
全国民力を合せ輝ける未来のため努められよ天の岩戸開きとはこのことなり吾れこの地を拓きし者として子孫代々このこと伝えその決意を促さんため招きに応じて現われし者なり。

古代里人の御託宣について

古代里人はなぜ出現したのでしょうか
いま時代はバラ色でしょうか? 日々くらしを紡ぐ忙しい毎日のはざまに、ふと、目がくらむような暗いもの、不安、恐れみたいなものを感じたりしませんか?
いつも祝祭は、そのような問いのなかで生まれてきました。日常のなかにある不安や暗闇に気づいたそのとき新しい再生への祈りをこめ.生まれかわる儀式として祝祭はつくり出されてきたのです。
北総の竜神緑起をもつ、龍角寺(栄町)龍腹寺(印西市)龍尾寺(匝瑳市)は、かんばつと水害の不安をたちきり.新らしい農業の再生を祈ってできた壮大なロマンを秘めて建立されました。
芝山の地に、古代里人が再生したのは、おそらく芝山町に新たな火花を発したいという、人びとの祈りともいえる願いがあるからでしょうか。
古代里人は、芝山の人びとの心の奥底にある、再生への願いが、その姿を現わしたものといえましょう。
古代里人からのメッセージ
この北総の地は、麻の国とよばれ、肥沃な大地が広がり、温暖な黒潮が海岸を洗い、山海の幸が無尽蔵に採れ、豊かで和やかな心を持った人びとの住むところといわれ、人びともまた、自分たちの住むこの地を誇りとし愛してきたものでした。古代里人は、実にこのような誇りと自愛にみちた素朴で豊かな人間として現代に再来したのです。
彼らは、私たちにメッセージを送ります。「今まさに、国造りのとき」とそれは、「人間の本然に立ち帰り、自らを命とよび、朋を神とあがめる」人びと、つまり芝山の人びとによる自助、共存の文化の里造りをなそうというよびかけなのでしょう。
芝山の風土文化、根のある風土抜術が、新らしく再生し、むらおこしの発火点にしましょう。そして、人びとの心が結ばれる花のように咲きあふれる共生と協力が、それを未来にむけて運ぶでしょう。まるで南風のように。
里人力を合わせ文化のまち造りを
あらためて、この祭りをきっかけに私たちのくらしとむらをふりかえってみましょう。とてもかけがえのない大切なもの、美しいもの、豊かなものを私たちは持っていることに気がつきませんか?
古代里人の再生とご託宣に応え、笑いあふれる祭りの今日、私たちは、この知恵を、あらためて地域の貴重な資源として現代によみがえらせ再生の息吹きを与え、私たちの手による、里人力を合わせ文化の町おこしの出発の日にしようではありませんか。

はにわ祭における五つの儀式

1.降臨の儀
古事記に誌す天の岩戸開きになぞらえて、古墳の石室の開扉を祈り当地方開拓の祖である古代人の出現を希い、国造から御託宣をうける。

2.交歓の儀
観音教寺境内に古代人の来臨を仰ぎ、僧侶による歓迎法要があり、現代人との交歓を行う儀式であり、郷土芸能等が披露される。

3.歓迎の儀
当地方開拓の祖歓迎のため、現代人による種々のアトラクションが催される。

4.行列の儀
国造の一族が勢揃し、現代人の業を観閲し護符を配りながら、芝山町を練り歩く儀式。

5.昇天の儀
現代人の見守る中に、古代人はメッセージを残し、来年の再会を約束して、静かに昇天するクライマックスの行事。 

 

仁王尊カウントダウン花火(2022年は中止となりました。)

 

毎年大晦日の夜に、芝山仁王尊表参堂前でカウントダウン花火が開催されます。
午前0時の時報と共に、新年を迎えた芝山町の夜空に約350発の花火が打ち上げられます。

開催日時 : 毎年1月1日(大晦日の夜)午前0時から

 

芝山さくら祭り

 

【平成28年度以降中止となっております。今後の開催については未定】
4月上旬から、芝山公園ではソメイヨシノをはじめ6種類の桜が咲き始め、芝山公園の広場では、さくら祭が開催されます。
また、同時期に芝山仁王尊観音教寺では、お釈迦様の誕生日 「花まつり」が開催され、芝山古墳・はにわ博物館では「火おこし体験」や「勾玉づくり教室」などのイベントが行われます。

開催日時は、桜の開花状況により変動します。

 

観光 芝山の観光<近代と古代>

ここは不思議な町。古代からの伝統文化と、最先端の科学文化とがゆるやかに交差しています。空を舞う銀色の翼が、この町に新しい風を運んできました。
それはどこか異国の香りがして、ちょっと心地いい。この町が明るさを増して、生き生きと輝き出したのは、多分そのせいでしょう。移り変わってきた長い時を、じっと見つめてきたはにわたちの目に、「現代」はどう映っているのか。寡黙な彼らは、語る言葉も持たず、ただ小さな笑みを浮かべているだけ。でも、その瞳は確かに何かを語っています。 芝山には、貴重なもの、楽しいもの、便利なものかいっぱいてす。文化に親しむもよし、自然にひたるもよし、思い切り汗を流すもよし。自分なりの楽しみ方ができるステキな町なのです。あなたたけの芝山を見つけに出かけてみませんか。きっと、うれしくなるような出来事があるはずですよ。

 

航空科学博物館 Museum of Aeronautical Sciences    

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この博物館は航空に関するさまざまな資料を集めた、日本で初めての施設で、鉄筋コシタリート2階建て(一部5階建て)、延べ面積は32100平方メートル。日本で最初に飛行したアンーファルマン複葉機か原寸に復元ざれ展示されている他、DC-8シミュレーターなど飛行機の操作を体験できる装置も設置されています。また展望展示室からは成田空港の滑走路や離着陸する飛行機が一望できます。 This museum. the first aviation museum in Jaoan. exhibits various matenals relating to avlation. With a floor space of 3.200 sauare meters. the building is two stoned. ferro-concret made with an observ-atory lounge five stories high The exhibits include a full-size replica of the Henri Farman biplane which made the first flight in Japan You can also experience aeronautical practice with a DC-8 slmu'ator From the observatory lounge. you can enjoy a vlew of alrplanes landing and taking off on the runway of rvarita Airport.    

 

芝山公園 The Shibayama Park

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自然に囲まれた落ちついた中にも、野球場、ミニアスレチックなど様々な施設があり、子供から大人まで十分楽しむことができます。また古墳はにわ博物館や芝山仁王尊に隣接しており、歴史文化にも親しめます。 This park set amidst the natural surroundings of open fields and woods has a baseball field and a small athletic ground. Not only children but adults can enjoy the many amenities. It is located near the Haniwa Museum and Kannonkyo Temple where one can also learn about the old history and the culture of the area.

 

芝山古墳・はにわ博物館・殿塚・姫塚

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博物館には、千葉県内から出土した埴輪や古墳時代の考古遺物が展示されています。そのほか館内では、復元された住居などによって古代を垣間見ることができます。 芝山町周辺には数多くの古墳が確認されていますが、その中で最も太きな前方後円墳であり、古墳時代後期のものといわれています。また、この古墳からは全国ではじめて形象はにわの行列が発見されましたが、これらのはにわは日本を代表するものといわれています。 The museum displays various Haniwa (clayware) and archaeological remains of the Kofun period unearthed in Chiba Prefecture. You can also take a look on ancestors' Iife with the old dewelling reconstructed with in the museum. Manifold tombs have been found in Shibayama machi. TONOZUKA and HIMEZUKA are two of the biggest of them all. They are of the ZENPOUKOUENFUN form (the form of old tombs, front square -back round) of the later tumulus period. A procession of figurative haniwa were discovered for the first time and has become renown throughout Japan as a most representative collection.

 

芝山仁王尊 Shibayama Nioson Temple

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西暦781年に創建された観音教寺は、古くから芝山仁王尊の名で呼び親しまれ、仁王門に安置されている仁王尊像が広く知られています。また境内にある三重塔も県内有数の有形文化財として有名です。 The temple of Kannonkyo was built in 781. It is popularly known as Shibayama Nioson because the two statues of NIOSON are enshrined in the great gate of NIO. SANJUNOTO (the threestorled pagoda) in the grounds is one of the most famous cultural assets in Chiba prefecture.

 

2024.06.19 Wednesday
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