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仏教のお話
罪悪生死の凡夫
罪悪生死の凡夫(ざいあくしょうじ の ぼんぶ)とは、
唐の善導大師(613〜681) がお示しになった浄土宗の人間観です。
■ 〈罪悪〉とは、罪を造ること。
■ 〈生死〉とは、六道輪廻のこと。
■ 〈凡夫〉とは、煩悩を断ち切れない存在。
遥か彼方の昔から現在に至るまで、
煩悩を断ち切れずに罪を造り続け、
罪の報いによって六道を輪廻し続けてきた。
それが他人事ではなくて、
「自分にも当てはまる」と受けとめることが
お念仏信仰の出発点になります。
南無阿弥陀仏、とお念仏を称える目的は
自分が極楽浄土に往生するためです。
仏教では、自業自得の原則に基づいて
自分の業(=行い)の結果は自分で引き受けます。
そのため、
善い行いをすれば善い来世が、
悪い行いをすれば悪い来世が
その人にもたらされます。
念仏は最善の行いなので、それによって
極楽往生という最善の来世が得られます。
自業自得の唯一の例外が回向(えこう)です。
回は、めぐらす。
向は、さし向ける。の意味で、
自分が造った善業を他の人に回し向けることです。
だから、阿弥陀仏と縁を結ぶことなく
生涯を終えられた方に対しては、
回向によって念仏の功徳を届けます。
「阿弥陀さま、どうか〇〇を極楽浄土に
お救いください。南無阿弥陀仏‥‥‥」
と称えれば、阿弥陀仏のお迎えをいただいて
間違いなく極楽浄土に往生なさいます。
称える私も 亡き方も、
共に極楽浄土に救われるのが念仏の教えです。
善(あるいは悪)の行いをすれば、
それが後々には
善(あるいは悪)の結果となって
自分自身に巡ってきます。
これを自業自得といいます。
仮に、先祖が悪い行いをしたとしても、
その報いを受けるのはご自身であり、
子孫に災いがふりかかることは
仏教の理論上ありません。
だから、不運なことが続いたり、体調不良が長引いたとしても、
それについてご先祖様は何も関係していません。
それでも不安を感じるならば、
「ご先祖様、万が一どこかで迷っておられるなら、
どうか阿弥陀様のお迎えをいただいて極楽浄土に往生して、
そこで立派な仏様になって私たちを見守ってください」
という思いでお念仏を称えるとよいでしょう。
お念仏の信仰がしっかりと確立していれば、
誰に何を言われようとも、動揺することはありません。