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仏教のお話

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罪悪生死の凡夫

罪悪生死の凡夫(ざいあくしょうじ の ぼんぶ)とは、

唐の善導大師(613〜681) がお示しになった浄土宗の人間観です。

 ■ 〈罪悪〉とは、罪を造ること。

 ■ 〈生死〉とは、六道輪廻のこと。

 ■ 〈凡夫〉とは、煩悩を断ち切れない存在。


遥か彼方の昔から現在に至るまで、
煩悩を断ち切れずに罪を造り続け、
罪の報いによって六道を輪廻し続けてきた。

それが他人事ではなくて、
「自分にも当てはまる」と受けとめることが
お念仏信仰の出発点になります。

2019-02-17 15:32:15
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南無阿弥陀仏、とお念仏を称える目的は
自分が極楽浄土に往生するためです。

仏教では、自業自得の原則に基づいて
自分の業(=行い)の結果は自分で引き受けます。
そのため、
善い行いをすれば善い来世が、
悪い行いをすれば悪い来世が
その人にもたらされます。
念仏は最善の行いなので、それによって
極楽往生という最善の来世が得られます。

自業自得の唯一の例外が回向(えこう)です。
回は、めぐらす。
向は、さし向ける。の意味で、
自分が造った善業を他の人に回し向けることです。

だから、阿弥陀仏と縁を結ぶことなく
生涯を終えられた方に対しては、
回向によって念仏の功徳を届けます。

「阿弥陀さま、どうか〇〇を極楽浄土に
 お救いください。南無阿弥陀仏‥‥‥」

と称えれば、阿弥陀仏のお迎えをいただいて
間違いなく極楽浄土に往生なさいます。

称える私も 亡き方も、
共に極楽浄土に救われるのが念仏の教えです。

2019-02-17 15:29:26
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善(あるいは悪)の行いをすれば、
それが後々には
善(あるいは悪)の結果となって
自分自身に巡ってきます。
これを自業自得といいます。

仮に、先祖が悪い行いをしたとしても、
その報いを受けるのはご自身であり、
子孫に災いがふりかかることは
仏教の理論上ありません。

だから、不運なことが続いたり、体調不良が長引いたとしても、
それについてご先祖様は何も関係していません。

それでも不安を感じるならば、
「ご先祖様、万が一どこかで迷っておられるなら、
 どうか阿弥陀様のお迎えをいただいて極楽浄土に往生して、
 そこで立派な仏様になって私たちを見守ってください」
という思いでお念仏を称えるとよいでしょう。

お念仏の信仰がしっかりと確立していれば、
誰に何を言われようとも、動揺することはありません。

2019-02-17 15:28:46
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