片江と海の物語
片江の海と漁業の歴史

島根県松江市美保関町にある片江地区は、今では人口わずか500人程度の小さな漁村だが、かつては日本の漁業に革命を起こした町である。
片江地区のある島根半島と隠岐諸島の間は、100m以浅の天然の魚礁に恵まれ、古くから漁業が盛んな地域で、江戸時代から明治時代にかけてはイワシやイカを中心に漁業を行っている。この伝統的な漁業に革命を起こしたのが片江村出身の渋谷兼八(しぶたにかねはち)で、1913年にそれまでの帆船沖手繰りに動力をつけて「機船底引網」とし、更に1917年に捲き上げウィンチ を考案し、これをエンジンに直結させる連動式揚網機として漁船に取け、手繰を動力化した後、1920年に2艘引き機船底びき網をつくり、これらの新開発によって日本の漁船の近代化を促し、機船底曳網漁業を主要な漁業におしあげ、急速に沖合底曳網漁業、以西底曳網漁業を発展させた。漁場を西へと広げ、根拠地を下関等へと移し、「片江船団」として福岡を基地に大陸方面へ進出するほどになった。後に島根水産株式会社となり、戦後に下関で発足した振洋漁業株式会社や片江海洋漁業株式会社の原形をなし、日本の漁業の発展に貢献した。

片江船団は大正から昭和30年にかけて大いに発展し、その発祥の地として片江地域も賑わったが、漁業の規制、戦争、遠洋漁業の国際政治上の問題、景気上昇による漁業従事の魅力低下による人員不足、中国・韓国の漁業の台頭などを理由に時代の流れの中で以西底曳網漁業は不振となり、昭和40年代には境港を中心としたイカ釣り漁業へと転身したが、後に好漁場であった竹島周辺の漁場を失い小規模化していくこととなった。
片江の海と若布(わかめ)

若布は島根半島の名産として、1300年前の「出雲国風土記」にも記述がある。片江地域でも天然の若布や海苔の採集は昔から盛んだ。出雲地方では、「わかめ」のことを「めのは」と呼び、特に若布を乾燥させ板状にした板わかめを「めのは」と呼ぶことが多い。中には手洗い・天日干しした幅広の最高級の板わかめを指すこともある。若布は地域の宝物の一つである。

わかめの漁期は2月~6月で新芽は2月~3月が旬で5月末には採取を終える。6月以降になると若布はくさり、なくなっていく。
昭和の頃には若布の生育状況や天候を見ながら3月20日以降のなぎの日を「口あけ」とし、サイレンを合図に各家から出てきた人々が一斉にわかめの採取を始めた。潜らなければ、どんな方法で採取してもよく、とったわかめは全て採取者のものとなり、自家用や販売用とされ、大いに賑わった。
片江でわかめの養殖がはじまったのは1965年で、漁業会の下に養殖組合をつくり多くは片江地区と笹子地区の個人が養殖を担った。こうして、島根県東部のわかめの一大生産拠点となっていった。

現在、人口減少が進む片江地区で若者や移住者を中心に「片江わかめ収穫祭実行委員会」が立ち上がり、採れたてのわかめを味わう「めのはフェス」を2024年から開始し、わかめを軸とした地方創生の取り組みを始めている。
片江の海と「片江古道」

片江地区にある方結(かたえ)神社から200m南へ進むと、片江地区と森山地区を南北につなぐ「片江古道」がある。古来より生活道として利用され、また、片江から鳥取の弓ヶ浜方面へ行商に行くルートとしても使われていた峠道である。インフラの整備・自動車時代の到来によりその峠道は使われなくなり、未整備の状態が続いていた。
令和3年(2021年)に地域住民のべ150人より片江古道の再整備を行った。峠道の倒木の中から約260年前に建立されたお地蔵様も発見され、地域住民により再生復活した。道中には昔の棚田の石垣や滝があり、里山の植物や季節ごとの花も楽しむことができ、今後は自然を感じられる観察路として再活用していく。
片江の海と未来 ~ 美しく歴史溢れる片江の地を未来へつなぐメッセージ

太陽が燦然と輝く夏の朝、片江の海は青く輝き、波打つリズムが心をくすぐる。
少年の鉄太は、その無垢な目で朝焼けに染まる空を見上げながら、水中眼鏡を顔に、浮き輪を片手に抱え、漁師である父の船着き場へ走っていく。
片江の海は、彼にとって単なる遊び場ではなかった。それは食卓を豊かにし、家族の絆を深める「宝物庫」だった。
海に身を沈める鉄太。
サザエやアワビ、揺れる海藻たちは、彼の小さな手によって慎重に拾い上げられる。太陽の光が水中に差し込み、反射するその光景はまるで夢の中のようだった。
「今日の獲れ高はすごいね!」彼の母は笑顔で言い、刺身に仕立て上げる。その魚の輝きと繊細さは、片江の夏を象徴していた。
時が流れ、大人になった翔太は、昔の記憶を胸に抱え、片江の未来を考え始める。
漁業だけではなく、新しい産業の可能性を模索する中で、地元の人々と協力し、ワカメ養殖に力を入れるようになった。「この海を、次の世代に残したい」との願いが、彼を突き動かしていた。
冬には、荒々しい日本海がその全貌を見せる。
墨付け神事が始まる日は、片江の住民全員が一つになり、海の恵みと力強さに感謝を捧げる。鉄太は子どもの頃、この神事が怖かったことを思い出す。しかし、大人になった彼は、その怖さが自然への敬意を教えてくれるものだと気づいた。
そして、初春。トンド行事のために集まった地域住民が火を灯し、心をひとつにするその瞬間は、何とも言えない温かさに包まれている。
片江古道の整備は5年前のことだった。そのプロジェクトを通じて翔太は、海だけでなく山々が地域の心と身体を支える存在であることを再認識する。「森と海が調和してこそ、片江が輝くんだ」と彼は確信する。
夏の夜、湾の中央に打ち上がる花火が空を彩り、片江の未来への希望を象徴する。
その光景は、鉄太が少年時代に見たものと変わらない美しさだ。
地域の祭りである「めのはフェス」では、笑顔あふれる住民たちが集い、片江の海の恵みに感謝を捧げる。
鉄太の夢は、歴史と自然が融合した片江を次世代に伝えること。
そのため、彼は仲間と共に努力を惜しまず、海や山の未来を守るためのプロジェクトを続けていく。
海のさざ波はいつも彼を励まし、片江の美しい未来への道を照らし続ける。
その未来は、彼の子どもたち、そしてさらにその先の世代へと続いていく。