PROFILE 
小学3年生から兄の影響で、少年野球チームに入る。 本当は4年生から入れるのだが何故か3年生から入れてもらう。 少年野球の頃は学校が終わってから自転車に乗り、毎日練習へ行っていました。 守備はピッチャーでしたが、今から思えば他にいなかったのか? 町の決勝大会で船倉チームに25対5で5回コールドになったこともありました。 その後中学生も、野球部に入り、1年生のときの3年生部員は40名、2年生のときの3年生部員は20名 同学年は10名、 1名の補欠になるか、セカンドを守っていました。 足も肩も強くなれず、 野球は中学で終了。 高校生からは、地元にボート部があり、2年生の時に富山でインターハイがあり、確実にインターハイが出られるという勧誘だけで、 ボート部に入りました。 結局、インターハイには出られなかったものの、もの凄いハードな部活を3年間続けたことで、 基礎体力と持久力は着いたと思います。
一方、ゴルフを始めたきっかけは、 兄がゴミステーションから拾ってきたゴルフクラブが家にあり、実家裏の田んぼで球打ちを始めたのが4,5年生頃かなと思います。 高校に入る時に、将来やりたいこともなく、 父のようなサラリーマンにはなりたくないなと思い、スポーツ選手、それならばゴルフがいいかなという甘い考えで、高校は出たものの親の反対を押しきり、当時のプロゴルファーの登竜門、研修生へと進みました。
研修生になった高校卒業、18歳の時は、スコア100も切れず、今思えば、よくもまぁ、 無謀にこの道を進んだものだと思います。 研修生の先輩に、に○りで、沢山取られたものです。 キャディーで稼いだ給料も、握りを支払ったら残った金額は85円。 寮暮らしで食べるものは困らなかったものの、ジュースも変えず、 先輩に紹介されたお金の稼ぎ場が、 豚舎の肥料詰めでした。 まぁ、プロゴルファーの華々しい世界とは、正反対の生活でした。
そして、最初のプロテストを受けたのが、 24歳の時、 テストを受けるまで6年という月日が流れました。 24歳から33歳くらいまで受けましたが、 最終プロテストまで行ったのが僅かに1回。 後は、二次テストで沈没。
30歳の頃に、手に職を持っていたほうがいいという南プロの薦めもあり、ティーチングプロの資格を取得しました。
ティーチングプロのC級の資格も、落第し、 翌年に再チャレンジ、合格、その後、一年を空けてA級、ジュニアコーチも取得しました。
ティーチングプロの資格、教本の丸覚え、 真面目な性格だから、それを鵜呑みにし、 そのまま自分自身の打ち方を変えたときに、 全くうまく振れなくなってしまいました。
この教えでは、お客さんもダメになってしまうと思い、モヤモヤしながらレッスン業へと進み、 栃木県のプロゴルフ会の薦めから、 藤本光一郎さんに出会い、 一からゴルフを学びました。
あまりにも、ゴルフのレッスンが歪んでいることを知り、自分も、雑誌や、ビデオを見て上手くなろうと思っていても、その形を真似たり、咀嚼の仕方がずれているために上手く慣れなかったのかが良く分かるようになりました。
普通のことって、ポイントをおさえて 練習すれば必ず上手くなるものです。 でも、ゴルフ界には、どこを探しても、それが見当たらない。 誰もが上手くなれる道筋を提供し、 初心者には、正しいことを育んで、何処まででも自分が工夫して上手くなってもらいたいと心から願っています。
そんなゴルファーを1人でも育て上げたいと思い、現在に至っています。
名前:佐藤潔司 (さとう きよし)
生年月日:1977.12.25(クリスマス)  出身:富山県富山市 血液型:A型
資格:2004年 日本ツアー機構 ツアープレーヤー取得 2008年 日本プロゴルフ協会 テイーチングプロB級取得 2010年 日本プロゴルフ協会 テイーチングプロA級取得 2016年 日本プロゴルフ協会 ジュニア指導員資格取得 2018年 日本スポーツ協会 公認スポーツ指導者 ゴルフ指導員取得
趣味:スポーツ観戦
師匠:横山 健士トーナメントプロ、南 堅悦ティーチングプロ
性格:大人しい
夢:北陸オープンで優勝し故郷に錦を飾る
好物:さかな 甘いもの
使用クラブ: ドライバー プロギア 3W ヤマハインプレス UT 19°21°タイトリスト アイアン インプレスRMX ウエッジ フォーティーン パター オデッセイ
使用ボール: ブリヂストンツアーB
レッスン場所 喜連川カントリー倶楽部 VIPゴルフプラザ練習場
ゴルフに興味のある方はドンドンお問合せください。
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