大谷焼の歴史
大谷焼は、江戸時代後期、安永9年(1780年)に、四国八十八ヶ所霊場の巡礼に来た豊後の国(大分県)の焼き物細工師・文右衛門が、親子5人連れで大谷村山田の里にきて、はじめてロクロ細工を披露し、時の庄屋森是助が素焼窯を築いて、蟹ヶ谷の赤土で作った火消壺等の雑器類を焼いたことが始まりといわれています。明治時代には藍甕、大正時代には戦時景気と多様な変遷を経て、今もその伝統は息づいており、身の丈ほどもある甕や睡蓮鉢の大物陶器の大きさとそれを焼く登り窯は、日本一と評されています。近年では、大物陶器をはじめ、湯呑みや茶碗などの日用雑器から芸術作品まで、幅広く作られており、平成15年(2003年)には、経済産業省の伝統的工芸品にも指定されています。