もうすぐ終戦記念日
各都市への大規模空襲(鹿児島県内でも鹿児島市の他各地であった)と、沖縄、広島・長崎と続いて、8月15日の慰霊で一旦区切りとなります。
【 3年8ケ月 とは何だったのか 】これは、半藤一利氏が監修を務められた、【実録映像集・太平洋戦争】の冒頭にある一句です。
最前線や銃後でも、あまりにも惨い・あまたの犠牲を重ねているのを知っていながらも、現状を直視せず・真実から目を背け続け・政治的決断が出来ず(しようともしなかった)
戦前に制定されていた固定観念や規律に対して、違反どころか一切の意見を許さず、国民に戦意喪失が蔓延する事を嫌って、却って厳格に運用しました。
軍や政治家のトップ中のトップや作戦参謀らは、安心安全で快適な日吉の穴から、一般国民や最前線に対して、一方的に無謀な指示・命令を出す。
それにより、如何に多くの命が散ろうとも一顧だにせず、自らは責任を取らない・・・。
結果、国内外で犠牲者の数が膨大になり、農地も満足に手入れできず、国内の産業(重工業・製鐵・機械製造・工業)の生産設備の多くが従事者諸共破壊されました。
膨大な国富も失われ、石油も絶望的に不足し、国が成り行かなくなる非常事態にまで追い込まれた挙句、終戦となりました。
これの再建には数年がかりとなり、荒廃し人出の足りない農地では、急増する需要に対応しきれず、物資・食糧不足も戦時下以上により深刻となりましたが、しかし先人達は、其れこそ死に物狂いでそれらを回復し増産に結び付け、その後の復旧・復興を遂げられ、高度経済成長を達成して下さいました。
それらの過程で、筆舌に尽くし難い多くの艱難辛苦があったはずです。 それを乗り越えて下さった先に、現代の我々が何の不自由も無く、戦火に怯える事のない安心した生活が出来ています。
それ故、先の大戦での【全ての英霊に対して、哀悼するのはごく当然】と考えます。全政治家(為政者)は”必ず参拝に行くべき”です。 他国の批判は”内政干渉”と断固拒絶するべきです。
但し、【命令を下した側】と、【それに従わざるを得なかった方々】とを、【同じ所にお祀り】する事に対しては、小学生の頃よりずっと疑問に思っている丸万店主です。
