ありがとうございます
お客様方ありがとうございます。おかげ様で【なんでもレスキュー】のご依頼が更に2件頂けました。
【ごみステーションのビニルトタン屋根の修繕】と、【柿の木の伐採】のご依頼です。 昨日・一昨日と現場を見に行き現状を確認して、作業日と作業手順等の打合せも行いました。
2件とも作業開始はしばらく先なので、その合間に、一昨日から顕著に流れが悪くなったホームショップ丸万(当店)の排水パイプ詰まり解消作業を、昨日から取り組んでいます。
パイプの詰まりは長年の蓄積だと思われます。その分、頑固でホントにしつこいです。
本日で半分程は解消しましたが、全快には程遠い状態です。また明日も作業を続けます。
なんでもレスキュー
ホームショップ丸万では、くらしのなんでもレスキューをやっています。
ホームショップ丸万の前身である【四元商店:食料雑貨店(昭和初期~昭和20年)】時代から、祖父は畳の表替えや、刃物研ぎ・鍬や鎌の柄の交換、下駄や草履の鼻緒交換、家屋の簡易的な修繕など、小規模ながら【何でも屋的な事】を行っていた様です。
戦後業態転換し屋号を変え【四元金物店:金物荒物店(昭和20年~昭和30年代半ば)】になった時には、刃物研ぎや、家屋の簡易的な修繕も継続し、バイクやミゼットをいち早く導入した事で機動力を高め、姶良村や隣接する町村の周辺集落への配達も積極的に行っていた様です。
二代目(現代表の父)が帰郷し本格的に家業に加わった【丸万金物店:昭和30年半ば】には、祖父の何でも屋を引き継ぐ形で、時折伯父の手伝いを貰いながら【住宅のこそくり】を本格的に始めています。
以降、地域内を二巡以上~三巡目に入って久しい、平成半ばには下火になりかけてはいたものの、長期顧客も安定してご利用頂いていた事から、平成25年11月【くらしの何でもレスキュー】と名称を変えて、三代目(現代表:店主)が再出発させました。
おかげ様で、令和になる頃には、先代達の頃からの顧客に加えてご新規様にも多数のご利用を頂けました。 当初の想定をはるかに超えて、相談件数も増え・相談内容も多岐に渡る様になってきました。
平成26年2月と、令和5年8月に、鹿児島県の経営革新企業に承認を頂き、事業化と販路拡大(事業の拡大)の弾みが付きました。
金物・荒物店に業態転換してから【80年目】にあたる、令和7年に【鹿児島県の経営革新支援補助事業】に採択され、鹿児島市の広告宣伝会社【アピール】さんに依頼して、ホームページ刷新やチラシの新規作成を行いました。
その際、10年間使用し続けてきた、何でもレスキューを、なんでもレスキューと、ひらがな表記に変更し、店主の似顔絵風のイラストも多数採用して頂いております。
くらしのなんでもレスキューでは
草刈り(剪定も含む) 、雨樋い清掃・部分的な修繕、水道パイプの修繕・水道周りの簡易修繕(水漏れ防止等)、ビニルトタンの貼り替え、網戸の貼り替え、部分的な塗装作業、住宅(屋内外)の部分的な修繕 なども行い、ストーブの芯交換もやっています(令和8年2月末現在で通算325台実施)。
祖父の代から行っている各種刃物研ぎ・各種刃物の柄の交換も継続して実施しています。
右肩痛の正体
昨日は吾平中の卒業式でした。12時前に帰宅後軽くお祝いをして、告知通り14時から開店しました。
塗料やセメントや建材品の値付け品出しを含む諸々の業務を済ませ、ひと段落した後、鈍痛が継続している右背中と、ここ1ヶ月以上悩まされている右肩の治療の為に【せぐち整形外科】に出向きました。
右背中や、両腰は古傷なのでいつもの様に痛み止めの注射と電気治療をお願いするつもりでしたが、ここの所の右肩痛は以前と違ってパソコン作業時にも発症して、右肘にも痛みと違和感が継続して指先にも軽い痺れが頻発しています。
更に最近は、左肩・左肘・左手にも同様の違和感が出始めました。
これでは、なんでもレスキューの作業に大きな支障(かなりのブレーキ)となる為、念のため診断をお願いした所、右・左とも様々な角度からレントゲンを撮影して頂きました。
その診断結果、【第6頚椎・第7頚椎の椎間板の変形】と、【肩・肘の関節周りの骨が僅かにズレ隙間がある】のが原因だったそうです。 左側の痛みが軽度なのもこの症状の程度の違いだそうでした。
右肩・右肘のそれぞれ二か所と、右背中に痛み止めの注射を打っていただき、その後は電気治療となりました。
痛み止めの内服薬や湿布を処方され、当面は週1回~2回程度の電気治療とリハビリを勧められ、我慢できない時には痛み止めの注射を打って症状の改善を図っていく治療方針を伝えられました。
『できれば明日からでもリハビリを開始して下さい』。との事でしたので、本日12日(木)に何とか時間を作って出向こうかと思います。
本業の通常業務・なんでもレスキュー作業・令和8年度の経営計画の早期抜本的な見直し・次期経営革新テーマの室内型簡易シェルター実現に向けた準備の加速、消防団や町内会の用務、青パトの巡回・・・などが目白押しで、これにリハビリも加わる事となりました。
これから、送別会や歓迎会が盛んに開催される時期となりますが、リハビリ計画や、もはや持病とも言ってもよい尿管結石持ち故、各先生から『アルコールは全てお断りしなさい』との厳命が下っております。
3月11日は卒業式
明日3月11日(水)は、吾平中学校の卒業式です。
卒業される生徒の皆さん、保護者の方々、おめでとうございます。
我が家も三女の卒業で、四人の子供全員が義務教育を終了しました。三女は今春からの進学先にはスクールバスでの登下校となります。
15年前の3月11日(金)は、東北地方の多くの小・中学校で卒業式が行われていました。 卒業式を終えた後や、来週の挙行に向けた準備を終えた段階で、大地震とその後の大津波で犠牲となった児童生徒も多くいました。
その15年前の【大震災の前後】に生まれた子供達が、明日中学校を卒業します。
夢半ばであまりにも急に旅立たれ、スタートラインにすら立つことが叶わなかった、君たちの先輩や上司にあたるはずであった、園児・児童・生徒の為にも、授かった命を大事にして・しっかりと生き抜き・夢を追いかけ・自身の夢を実現できる様に、努力も怠らずに頑張って道を切り開いていって下さい。
【 この道を行けばどうなるものかと危ぶむなかれ 危ぶめば道は無し 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ 】
まもなく15年
東日本大震災が発生して、まもなく15年となります。
その後も、熊本地震、大阪北部地震、北海道胆振東部地震、能登半島地震、九州北部豪雨、能登半島豪雨、鹿児島県央豪雨、大規模土石流、鬼怒川流域の洪水、各地の大規模山林火災…などなど、数多くの大規模な自然災害が発生して、甚大な被害が生じ多くの犠牲者もでています。
こういった災害報道は、発生直後は全国ニュースとして連日取り上げられますが、次第に報道の頻度が下がり、一年を前に再度特集を組みますがそれを区切りとして、以降はほとんど報道されません。
報道がなされなくなった事から『便りがないのは無事の知らせ』と、多くの方が考え、とっくに復旧が進み復興を成し遂げられていると思いがちですが、どこの被災地でも現実は全く違うようです。
復興どころか、明確な復旧の道筋すら目途が立たない箇所もある様です。仮設の応急対策止まりで本復旧工事着手はまだ先の様で、また同様の災害が発生した場合また被災するのでは・次は無事で済むだろうか・・・と不安を募らせている人も多いとか。
そう云ったところはほぼ例外なく、僻地や限界集落と化した人口が極端に少ない地域です。
都心部や人口が集中する地域は、発生直後から数多くの報道が行われる事で、災害支援も素早く届きますが、僻地に近い小規模集落や、迂回路に乏しい地域では生活道路兼用の主要道が通行止め(通行不能)となった場合、簡単に孤立します。
水道やガスに加え、電気までもが途絶すると情報も遮断され、被災地の実情が外部に知られるのが遅れ、災害時の緊急支援や人命救助も遅れてしまいます。 病気や怪我が悪化した場合は文字通り生死に直結します。
消費税増税による景気悪化状態が常態化し、小規模自治体や県の財政を悪化させています。
その為、行政運営の効率化の為に、地方や小規模集落がどんどん切り捨てられており、道路や橋梁等インフラ整備・補修も先送りや凍結が相次いでいます。
人口の多い海岸線(湾)や平野部と違い、岬の部分や中山間地域の小規模集落を結ぶ道路等の改修(改良)工事もごく部分的にしかなされず、10数年掛かりでようやく完了という箇所も珍しくありません。 場所によっては20年以上掛かっても完了していない所もあります。
ようやく最終工区区間が完了した頃には、初期の工区箇所の老朽化が見られ始める・・・。そんな所も珍しくありません。
東日本大震災に限らず、全国各地で頻発している大規模自然災害を目にして、インフラ整備の重要性(早期完了・強靭化)を強く感じます。 利権絡みの箱モノの公共事業とは明確に一線を画すべきです。
でないと、地方の中心地域や地方都市に人口が偏在化し、恒常的に不便を強いられていたり災害発生時には孤立する危険性が高い地域からは人口流出に歯止めが掛からなくなります。
そうなると、中山間地域の更なる荒廃を招き、今以上に鳥獣被害も拡大するはずです。
阪神淡路大震災から31年が経過していますが、いまだに、国や地方自治体、議員、マスコミ(特にテレビ(中でもタレント等が司会進行役やコメンテーターを務める、ワイドショー的な報道バラエティ番組))は、本質や根源的な部分に対しての理解が圧倒的に足りず、過去の教訓や苦い経験から何も学ぶことが出来ない、非常に愚かな集団の様です。
